年をとっても、丸くならない
数字が示すキレる高齢者
「年を重ねれば、角が取れて丸くなる」――。かつて高齢者はこんな風に言われていました。川の石が角が取れて丸くなるように、人間も年齢を重ねるごとに「丸くなっていく」というわけです。しかし最近の高齢者はどうでしょう。駅やスーパーで怒鳴る高齢者の姿を目にすることも少なくありません。「年をとっても丸くならない」高齢者の姿がそこにあります。
こうした高齢者の変化は統計データからも伺えます。高齢者(65歳以上)の刑法犯検挙人員に占める割合をみると、1990年の2.2%から2024年には21.4%と約30年で10倍近くまで急増しています(下図)。この間、高齢者人口の割合は1.7倍の増加にとどまっています。単純な「高齢者の数が増えたから」という理由だけでは、この検挙率の急上昇は説明がつかないのです。
高齢者犯罪割合と高齢化率の推移

「くつろぎ」が消え、「せかせか」が増える
これまで、高齢者の短気や怒りっぽさは「脳機能の低下」など、加齢による身体的な変化が主な原因だと考えられてきました。しかし、近年急激に高齢者の脳機能低下が進行しているという報告はありません。となると、原因は高齢者個人の問題ではなく、「社会環境や生活習慣の変化」にあると考えるのが自然です。
では、今と昔で高齢者を取り巻く環境にどのような変化があったのか。手がかりになりそうなのが、昭和51年から続いている「社会生活基本調査」総務省です。同調査によると、高齢者の1日の生活時間は40年前と比べて様変わりしていることがわかります。
- 増えた時間:家事、雑用、買い物、テレビやスマホなどの「情報処理」の時間
- 減った時間:家族との団らん、おやつ、うたたね、近所付き合いなどの「くつろぎ」の時間
このように、「老人の特権」ともいえる贅沢な時間であった「休養・くつろぎ」や、人との繋がりを育む「交際・付き合い」が減少し、代わりに情報メディアへの接触や、日々の家事・雑用といった「処理的な時間」が増えています。「くつろぎ」の時間が失われ、常に何かの作業や情報に追われる「せかせか」とした時間が増える──。まるで今の若者の生活をみているようです。
高齢者の生活行動時間の変化(2021年/1981年)

高齢者から「余裕」を奪う3つの要因
「くつろぎ」の時間が減って「せかせか」する時間が増える──。これでは穏やかで落ち着いた老人らしさが失われていくのも無理はない気がします。原因は、高齢者を取り巻く「3つの環境変化」にあります。
1.家族の「ソロ化」
一つ目は、家族形態の変化です。高度経済成長以降、地方圏から大都市圏への人口移動が進み、地方では子供と別居する親が増加します。かつて一般的だった三世代同居世帯は全体の1割に急減し、現在は単独世帯と夫婦世帯が6割を占めています。
子供と離れた親世代はやがて高齢夫婦世帯となり、どちらかとの死別・離別を機に高齢単身者になります。高齢者世帯のソロ化が進むと、これまで家族で分担していた家事や雑務を、すべて自分一人で行う必要が生じます。先に見たように、高齢者の生活時間で家事や身の回りの用事にかける時間が増えているのはソロ化の進行が影響しています。日々の暮らしに追われ、内面的な安らぎや「くつろぎ」の時間は激減。この「追われる生活」が、些細なことへのイライラを誘発しています。
2.「近所付き合い」の希薄化
2つめは、地域コミュニティとのつながりが減ったことです。ネットの普及により、「近所付き合い」のようなリアルな地域との関わりは減少しています。
人とのつながりが希薄になると、生活から「張り合い」が失われます。内閣府調査によると、「困ったときに頼れる人がいない」「近所づきあいがない」高齢者ほど、生きがいを感じにくいという結果が出ています(下図)。
誰かと関わる喜びが減り、日々の単純作業を繰り返すだけの暮らしが虚しさを生み、それがキレる高齢者につながっているのではないでしょうか。
生きがいを感じていない人の割合(60歳以上)

3.「消費社会」の呪縛
3つめは、現代人から心の余裕と落ち着きを奪っている「消費社会」の影響です。あらゆるものが商品・サービスとして記号化され、お金によって交換される消費社会は、人々の欲望を満たす装置です。欲望が消費社会を通じて満たされるようになると、生きるために必要なモノでは満足できなくなる。際限のない承認欲求や自己実現欲求を求める欲望のループが起きます。
現在の高齢者は、高度経済成長期から続く「消費社会」の洗礼を最も強く受けた第一世代です。欲しいものを手に入れるため猛烈に働いてお金を稼ぐ──。このとき形成された価値観がやがて自分自身を苦しめることになります。「お金がなければ生きていけない」という強迫観念が心の余裕を奪い、老後2000万円問題のような根拠が曖昧な情報に振り回される羽目になるのです。
家族という支えを失い(ソロ化)、社会というつながりを失い(孤立化)、消費社会という名の不安に追われる(呪縛)──。この三重苦が、現代の高齢者を「キレやすく、せかせかした姿」へと押しやっているのです。
「穏やかな老人」を取り戻すためのヒント
では、「年をとると丸くなる」と言われたかつての高齢者たちの穏やかさを取り戻すにはどうすればいいのでしょう。
ハンナ・アーレントのメッセージ
ヒントは、哲学者ハンナ・アーレントが提唱した「3つの活動」に隠されています。
アーレントは、人間を人間たらしめている行為として3つの活動力──「労働」「仕事」「活動」を掲げています。
- 労働:生命維持にとって必要な行為(料理、掃除)
- 仕事:永続的な形あるものを生み出す創造的行為(ものづくり、技術の習得)
- 活動:言葉を通じて他者とコミュニケーションをとる行為(対話、交流、議論)
アーレントは産業革命以降、社会が「作っては消費」を繰り返す労働中心となり、人間本来の豊かさを失わせていると警鐘を鳴らしました。
今の高齢者の日常を振り返ると、まさにこの「労働のループ」に陥っていることが分かります。「朝起きて朝食の支度をし、掃除や洗濯をこなし、近所のスーパーで生活必需品を購入、夕飯の支度をする」──。これらは生きていくための「労働」であり、終わりのない反復作業です。
では「仕事」に相当する趣味はどうでしょう。現代の趣味の上位を占める「旅行」「テレビ・映画鑑賞」「グルメ」などは、一見楽しいものですが、実は「何かを消費して終わる」という意味で、アーレントの言う「労働」に近い性質を持っています。旅行が終われば空虚感が残り、「さて、次はどこへ行こうか」とまた消費を繰り返すわけです。
「労働中心の消費社会から少し距離を置きなさい」──。今の高齢者を見たアーレントはこう助言するに違いありません。
「没頭できる趣味」を持つ
労働中心の消費社会から距離を置くにはどうすればいいのでしょう。答えはシンプルです。「消費」する趣味から、「没頭」する趣味へシフトすることです。旅行やグルメといった消費する趣味はほどほどにする。哲学者ショーペンハウアーが指摘したように、自分の手で何かを創り上げる行為は、人間に真の充足感をもたらします。
人の能力は用いられることを求めてやまず、人はそうした成果をなんとか見たいと願う。しかしながら、この点で最大の満足が得られるのは、何かを「作る」こと、仕上げることだ。籠でもいい、本でもいい。ひとつの作品が自分の手で日々、成長し、ついに完成したのを見ると、直接的な幸せが味わえる。
ショーペンハウアー「幸福について」
かつての高齢者の趣味といえば、編み物、盆栽、陶芸など、自分の手で形を残すものでした。その姿は一人の時間を楽しんでいるようにもみえ、孤独感など微塵も感じさせません。
「何かに没頭している人」には、不思議と他者が惹きつけられます。自分の手で何かを作り、それを楽しんでいる人の周りには、自然と会話が生まれ、失われていた地域とのつながりも少しずつ戻ってくるはずです。
まとめ
かつての穏やかで威厳のあった高齢者に戻るということは、「自分と向き合い、自分を取り戻す」時間を増やすことです。世間に合わせようとする外的自己(消費社会)から抜け出し、自分の内側の声に耳を傾ける内的自己(没頭できる趣味)への回帰です。
「消費」に追われる毎日を少しだけ脇に置き、何かを「創り上げる」ことに時間を使ってみる。それこそが、「老人らしさ」を取り戻すための、最も近道なのかもしれません。


