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ネットの普及で減少する「近所付き合い」-地域の強いつながりを取り戻すには

「近所付き合い」50年で6分の1に低下

皆さんは「近所付き合い」と聞いてどのようなイメージを持たれるでしょう。

  • 煩わしい
  • 何を話したらいいかわからない
  • あまり深く付き合いたくない

という具合に、あまり良いイメージを持たない人が多いのではないでしょうか。アンケート調査では「近所付き合いは苦手」と答える人が8割強に及ぶようです(AlbaLink社)。

実際、近所付き合いは過去数十年に亘って低下し続けています。最近はマンションだけでなく一軒家でも隣に誰が住んでいるかよくわからないケースも少なくないようです。内閣府の調査によると、地域の人と親しく付き合っている人の割合は、75年の52.8%から2022年の8.6%まで約50年で6分の1に低下しています。近所付き合いが多いイメージがある町村でも11.8%(2022年)という低さです。

私の田舎では近所の家にチャイムを押さずに入っていくことは珍しくありませんでしたが、いまではちょっとした騒動になると聞きます。お醤油が足りない時は隣近所に分けてもらう。こうしたおすそ分けもどんどん少なくなっているのです。

近所付き合いの程度

親しく付き合っている付き合っていない
197552.8%13.6%
199021.1%30.1%
20228.6%43.4%
(出所)内閣府「社会意識に関する世論調査」

近所付き合いのような「顔の見えるつながり」の希薄化は、友人関係にも及んでいます。第一生命研究所のアンケート調査によると、親友の数は、男性で2001年2.92人から2011年2.73人、女性で2001年2.73人から2011年2.54人へ、男女とも減少がみられます 。

「近所付き合いがなくても困らない」「親友は少ないけどSNSで〇〇人とつながってるから大丈夫」といった声もあるでしょう。近所付き合いのような人間関係が煩わしく感じるのもわからなくはありません。しかしこうした「顔の見えるつながり」が希薄化していることが、不安と孤独を生んでいる可能性があるのです。

近所付き合いが減った理由

では、これほど近所付き合いが減ってしまった理由はどこにあるのでしょう。

①人口移動による影響

まず挙げられるのは、地方から都市部への人口移動による影響です。日本では農村社会・村落社会が近所付き合いのベースとなる地域のつながりを築いてきました。しかし60年代の高度経済成長を受けて、地方から都市部郊外への大規模な人口移動が起きます。

その結果、親族という形で一緒に住んでいた高齢者が地方に取り残され、家族同士のつながりが失われていきます。家族が連れてきた近所の人とのつながりもなくなるため、高齢者の近所付き合いは自ずと減っていきました。

地方から都市部郊外へ移住してきた人たちはどうか。地方からの移住組のほとんどは、自宅と会社を往復する毎日で、自宅には寝るために帰ってくるだけという生活スタイルでした。これでは移住先で円滑な人間関係など作る時間はありません。つながりの場は家族や会社だけで、近所付き合いといえばゴミ出しのときに挨拶する程度です。

こうして、移動元(地方)と移動先(都市部郊外)の両方で近所付き合いが減少するという現象が生じたのです。

②ネットによる弱いつながりの急拡大

目の前の人よりスマホを優先する

近所付き合いの希薄化をもたらすもうひとつの原因が「ネット」です。つながりには「強いつながり」と「弱いつながり」の2種類があります。強いつながりは目の前の「顔の見える人」との関係性で、家族や親友、近所の人などが含まれます。これに対し、弱いつながりは「顔の見えない人」「ここにはいない誰か」との関係性で、その代表がネットやSNSです。

近年のネットの急速な浸透は、人々の関心を目の前の人からスマホの画面の向こう側へ移しました。ネットによる弱いつながりが目の前の人との強いつながりを奪う。近所の人と話す暇があったら画面の向こう側とつながっていたいというわけです。

「子供のブランコを片手で押しながら、もう一つの手でスマホをいじっている」「仕事の打ち合わせをしながら、スマホでメールを打っている」――こうした人の姿はもはや珍しくありません。スマホでマルチタスクすることに慣れ切ってしまい、目の前の人への対応もマルチタスクのように「処理」してしまう。これでは目の前の人と深い信頼関係など築けるはずはなく、強いつながりが消えていくのも無理ありません。

ネットの普及で近所付き合いが急減

私はネットが近所付き合いの減少に与えた影響は非常に大きいと感じています。

下のグラフは、親しく近所付き合いをしている人の割合とインターネット利用率を時系列に比較したものです。これをみると、近所付き合いの割合は90年代後半から2000年代前半に急激に低下し、その動きに呼応するようにインターネットの利用率が急上昇しているのがわかります。97年は1割に満たなかったインターネットの利用率は、5年後の2002年には57%まで急上昇しています。

画面の向こう側とつながることに夢中になるあまり、目の前にいる人との関係が軽視される姿がこのグラフから伺い知ることができます。

近所付き合いの割合とネット利用率

近所付き合いの割合とネット利用率
(出所)内閣府「社会意識に関する世論調査」、総務省「情報通信白書

弱いつながりと強いつながりはバランスが重要

「友人や近所の人との付き合いが減っても、ネットで多くの人とつながっていれば問題ない」。このように感じる人も少なからずいるでしょう。しかし本当に問題はないと言えるのでしょうか。

会ったことのない人々と瞬時につながることができる一方、誹謗中傷など心無い投稿に心を傷つけられることも多い。それが今のネット社会です。私はネットの弱いつながりを否定するつもりはありません。会ったことのない人と瞬時につながることは素晴らしいことです。私が問題視するのは、弱いつながりに偏ることの危険性です。SNSで何万人もの人々と常時接続していても心理的には「一人ぼっち」という感覚に陥る人が多いことが様々な調査からわかっています。

重要なのはネットの利用が増えても「強いつながり」が確保されていること。弱いつながりと強いつながりがバランスしていることです。仮にネットの炎上に巻き込まれても、そばに親友がいてくれたり、近所の人と深くつながっていれば、近場の居酒屋や町中華で愚痴を聞いてもらいながら笑い飛ばすこともできるでしょう。人は強いつながりという錨があるからこそ、ネット社会という自由の海を思い切って泳ぐことができるのではないでしょうか(下図)。

強いつながりと弱いつながりの関係性

強いつながりと弱いつながりの関係性

強いつながりという錨を失った人の不安や孤独はルネサンス時代の人々も同じでした。ルネサンス社会は今でいうネット社会のようなものです。庶民も階級にとらわれず自由に活動できる。しかし同時に共同体も解体されたために近所付き合いが薄れ、孤独と不安に苛まれるようになりました。結果、多くの庶民は自由から逃走するように宗教や権威にすがってしまったのです。弱いつながりと強いつながりのバランスの重要性は歴史が証明しています。

近所付き合い(強いつながり)を取り戻すには

もっとも、現実問題として今はあまりにネットの刺激が強すぎ、今さら近所付き合いをする気になれない人も多いはずです。ストレスなく近所付き合いを取り戻すにはどうすればよいのでしょうか。

「近所」に縛られない

まずは近所付き合いという言葉の定義を見直す必要があります。

「向こう三軒両隣」という言葉があるように、近所付き合いといえば自宅周辺の人との関係をイメージします。かつては治安維持の目的がありましたが、セキュリティ機能を備えた家が多い現代では治安維持のために近所付き合いをするインセンティブはそれほどありません。

近所付き合いを「自分の地域でより楽しく過ごすためのつながり」と再定義すれば、隣近所との煩わしさに縛られることなく、同じ地域の気の合う人たちとの関係性に意識が向かうようになるでしょう。

地元のお店でつながる

地域の強いつながりに必要なのは、楽しいと感じられる場です。自分が楽しいと思える場での対話は自然な強いつながりを生みます。町中華、スナック、パン屋、個人喫茶店のような地元のお店では、お店の人がつながりのハブの役割を果たします。例えばスナックのママは、お客さん一人一人を熟知しているので、初めて会うお客さん同士を自然につなぐことができます。

車から降りて徒歩で移動する

町中華やスナックで知り合った人のほとんどは地域に住む人です。しかしなぜかお店でしか会わない。こうした経験はないでしょうか。

理由は移動手段が車だからです。地方では近所のスーパーに行く場合も車を利用します。そうなるとよほどの田舎でない限り、近くに住んでいてもばったり会うことが少ないものです。

近所に住んでいてもお店でしか会わないというのはやはり不自然です。手っ取り早い解決策は、車から徒歩移動に切り替えることです。ちょっとした買い物程度なら徒歩で移動するのです。そうすれば地域の人と顔を合わせる機会が増え、お店でしか会わないといった現象は減るでしょう。

まとめ

このように「無理なく楽しくつながる」ことが、近所付き合いを始めとする強いつながりには欠かせません。目の前の人との会話が楽しければスマホを手にすることもないでしょう。そのような強いつながりは孤独と不安を和らげてくれます。心に余裕が生まれれば、ネット上の誹謗中傷も減るはずです。強いつながりを取り戻すことは、ネット社会の歪みをも是正する効果が期待できるのです。私たちはここで一度立ち止まって、身近な人との関係を見つめ直す時期にきているのではないでしょうか。