人的資本経営の高まりとともに、企業の研修投資が急増しています。しかし研究によれば、個人の能力開発に占める研修の割合はわずか1割に過ぎません。残りの9割は仕事上の経験と上司・先輩からの薫陶によって培われます。学ぶことが目的化した今の学びブームには、見直すべき点がありそうです。
「学び」がブームに
研修に力を入れる企業
「グロービス学び放題」「スクー」「Udemy」「lynda.com」「ライフシアター」──ここ数年でずいぶん増えたと感じるのがオンラインを中心とする学習・研修サービスです。AI・DX等のデジタルリテラシー、論理的能力、コミュニケーションスキル、コーチングスキル等々、ビジネスパーソンの「学習リスト」は確実に増えています。スキルといったらPCと語学程度であとは気合という私の若い頃と比べ隔世の感があります。
社員の知識・スキルの習得を支援すべく、企業も人的資本経営を掲げて研修に力を入れています。従業員一人あたり教育研修費は3年連続で増加しており、大企業はコロナ禍前の水準まで戻っています 。さらに今後1~3年の研修費についても「増加する」と答えた企業は約6割に上っています。
企業規模別従業員一人あたり研修費の推移

「みせかけの人的投資」批判
人が成長する上で新しい知識・スキルを身につけることは重要です。しかし今の学びブームはどこかバランスを欠いているように感じます。それは膨大な学習リストをこなすことが目的化してしまい、「何のための学びか」が見えなくなっているということです。膨大な学ぶべきリストを前に、誰よりも早く習得しなければという切迫感がコスパ・タイパ行動となってオンライン研修に向かわせているという構図です。効率化を追い求めるほど忙しさと空虚感が増すという加速社会の逆説は、学びの世界でも同じように起きています。
「学習すること」と「ものにすること」は違います。学習だけで「ものになる」わけではありません。最近は「業務に直接関係ない研修は意味がない」「開示条件を満たすだけのみせかけではないか」など、研修の効果を疑問視する声もちらほら聞こえてきます。研修が人的投資である限り、中長期的に企業価値の向上につながらなければ「みせかけの人的投資」と言われても仕方ありません。生成AIへの過度な依存が職場の対話と経験知を奪うという問題も、同じ「みせかけの効率化」として捉えることができます。
研修の効果はわずか1割
重要なのは仕事を通じた経験知
「頭で理解して、腹に落とす」──何かを「ものにする」とはこのような状態を指します。学習サービスで学べることは「頭で理解する」ところまで。それを腹に落として自分のものにするには、数多くの体験を重ねて身体で覚えるしかありません。スマホやデジタルが媒介する情報と「現実そのもの」のズレも、同じ「頭と身体の乖離」として理解できます。
人材育成に関する研究機関で有名な米ロミンガー社によると、個人の能力開発は以下の要素で構成されると結論付けています。
- 仕事上の経験:70%
- 薫陶(他者からの学び・師弟関係):20%
- 研修・自己学習:10%
能力開発の9割は仕事を通じた経験(7割)と上司や先輩からの学び(2割)から得られる。能力開発と聞いて真っ先に思い浮かべる研修は1割に過ぎない。つまり能力の9割は身体を通じて得られるということです。職場で様々なことを経験するなかで、「そういうことだったのか!」と研修で学んだことが腹落ちする──。ここではじめて「ものにした」ことになります。
「赤めだか」に学ぶ薫陶
なぜ身体が9割で頭が1割なのか。そのことを教えてくれるのが、落語家・立川談春の自伝的エッセイ「赤めだか」です。本書で描かれる師匠・立川談志との師弟関係は「理不尽」の一言に尽きます。ある日、風邪をひいた談春は師匠に風邪をうつしてはいけないと稽古を断ります。これに激怒した師匠はそれ以来、談春に稽古をつけてくれなくなる。そればかりか、築地の魚河岸で修行しろと1年も放置される──理不尽そのものです。
このエピソード、今なら完全にパワハラ案件です。しかし談春は今同じ目に遭っても逃げるという選択は取らないはず。なぜなら師匠と細い一本の糸でつながっている「直感」を信じているからです。その直感は師匠に惚れ込んでいなければ得られないものです。こうした「直感を磨くこと」が経験知の本質であることは、こちらの記事でも詳しく論じています。
「修業とは矛盾に耐えることだ」とは談志師匠の口癖ですが、相手に直感があるかどうかを理不尽な状態から見極めようとしているのです。直感を持った者だけが師匠の技を「ものにする」。他者から学ぶ「薫陶」をこれほど見事に示している例はありません。「データ野球は感性を奪う」と警告したイチローも、直感と感性を磨くことの大切さを体現した存在です。
今の職場に薫陶はない
今の職場に「赤めだか」の世界がないことは明らかです。AI・DXスキル、プログラミングなど身に付けなくてはいけない知識・スキルが増える中で、日々の業務や上司・先輩の仕事ぶりから学ぼうとする人は減っています。
教える側も然り。ハラスメントを恐れて部下への指導を躊躇してしまう上司も多いと聞きます。薫陶のない職場で居場所を見つけられず退職代行を使って去る若手社員の増加も、この問題と無縁ではありません。仕事への向き合い方や顧客との対話の重要性など、かつては上司や先輩社員の役割だった部下への指導が、最近はコミュニケーション研修で外部講師から学ぶ事態になっています。上司の背中から学ぶ「薫陶」など期待すべきもありません。
「地」と「図」で誇れるキャリアを目指す
物事は「図」と「地」で成り立っています。例えば、伝統工芸士の作品(図)は、連綿と続く地域の歴史と文化(地)があって価値となります。「地」があって「図」が引き立つのです。同じことが人材育成にも言えます。研修で得た知識・スキル(図)は、日々の業務、上司の指導、切磋琢磨する仲間という「地」があって成果を生みます。
図(スキル)と地(経験知)でみる人材タイプ

仕事の経験知(地)が少ないため、社員は追い詰められるように研修・学習サービス(図)に走り、ますます職場から遠ざかっていく──。今の人材育成は悪循環に陥っているように見えます。この悪循環から抜け出すには、仕事の経験知(地)を高めるしかありません。最近はAIを使った採用選考が注目されていますが、これによって経験知が正当に評価されないリスクが生じています。
上司と部下の対話の促進、試行錯誤のプロセスを歓迎する文化、若手が重要な職責を担う体制づくりなど、良い職場経験に向けた地道な環境づくりが急務です。
一方、仕事の経験知(地)だけでは視界が狭くなり、会社にずるずるべったりの会社人間になってしまいます。そこに研修・学習サービスで新たな知識・スキルを身に付ける意味があります。そして身に付けたスキルを積極的に職場で活用する──「頭で理解して、腹に落とす」です。地と図がセットになってはじめて誇れるキャリアとなります。
実はこの「地があって図がある」に最も近い状態にあるのが中高年世代です。早期退職募集の報道をみると中高年世代が追いやられているような印象を受けます。しかし最近は中高年世代の転職が(良い意味で)活発化していおり、賃金の前職より上昇しているケースが増えています。これは中高年世代が持つ経験知へのニーズが高まっていることの証左です。
まとめ
「学ぶこと」と「ものにすること」は違います。研修で得た知識・スキル(図)は、日々の仕事の経験と上司・先輩からの薫陶(地)があって初めて腹に落ちます。いくら図を積み重ねても、地がなければ砂上の楼閣です。
学びブームの本質的な問題は、図(スキル)の習得を急ぐあまり、地(経験知)を育てる職場から遠ざかってしまうことにあります。コスパ・タイパで学べるものは「頭で理解する」ところまで。身体で覚える経験知は、時間をかけた仕事の積み重ねと、師匠への惚れ込みの中からしか生まれません。
企業が今すべきことは、研修予算を増やすことではなく、上司と部下が対話し、若手が重要な職責を担い、試行錯誤を歓迎する「地」を耕すことです。そしてビジネスパーソン一人ひとりも、膨大な学習リストをこなすことに追われる前に、目の前の仕事に没頭する時間を取り戻すことが求められています。
地と図がセットになって初めて、誰にも真似できない「誇れるキャリア」となります。AIがどれほど進化しても、その人だけの経験知は代替できません。学びの本質は、教室の中ではなく、仕事の現場にあるのです。
このシリーズの関連論考をまとめた記事もあります。
⇒ AI時代を生き抜く「人間の強み」とは何か|経験知・感性・対話を論じた8本の論考まとめ


