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進む「東京一極集中」の緩和 -それでも東京がオワコン化しない理由

【記事のポイント】

  • 東京から地方への人口流出はコロナ禍による三密回避だけが原因ではない。
  • テレワークの普及で「働く場所」「住む場所」としての東京の優位性が剥がれ落ちている。
  • 働く場所が仮想空間にシフトしたことで、物理空間で日常的に人とコミュニケーションを取る機会が減った
  • 結果、東京よりも物理空間で個と個のつながりが生まれやすい地方へ移住しようという機運が高まっている。
  • 今後も地方への人口シフトは続く可能性が高い。
    一方、東京は世界の都市間競争に勝ち抜くための高度な都市空間を創造するチャンス

 

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東京一極集中の緩和は不可逆現象

東京から人口が流出

人生には様々な不確実性が起きます。不確実性が起きた時の人間の反応は以下の2つに分けられます。

  1.  早く元の状態に戻りたいと考える
    ⇒ 脆弱性
  2. 「気付き」を得て新たな道を発見する
    ⇒ 反脆弱性

著書「ブラック・スワン」で有名なナシーム・ニコラス・タレブは不確実性によってパフォーマンスが上昇することを反脆弱性と名付けました。上記の2番目の反応が反脆弱性に相当し、この人は不確実性をきっかけに人生をプラス方向にアップデートしたことになります。

東京一極集中の緩和

コロナ禍で起きているこの現象は私たちに反脆弱性をもたらしてくれる可能性があります。総務省の住民基本台帳人口移動報告によると、20 年3 ~ 12 月の都道府県間の人口移動は東京が1.7 万人の流出超過となり、神奈川・さいたま・千葉など東京の周辺近郊地域の流入が増加しました。

都道府県別人口流出入

都道府県別人口流出入

原因は三密回避だけではない

東京から人口が流出する。東京の三密空間を回避しようとする現象と捉える人も多いと思います。

しかし原因は本当にそれだけでしょうか。感染リスクへの反作用的な現象であれば、感染拡大が収束すれば再び東京に人が戻ることになります。

私は今の東京からの人口流出は元に戻らない不可逆な現象だと感じています。なぜならコロナ禍で得た「気付き」によって東京から地方への人口シフトが起きているからです。それはタレブが指摘する脆い状態から反脆い状態に移行しているということです。

もしそうなら東京一極集中の緩和は私たちの生活空間がより良い状態に変化することを意味しています。ではコロナ禍で人々が得た「気付き」とは何なのか。以下でこの点を探っていきたいと思います。

コロナ禍がもたらした「気付き」

かく言う私は東京に住んでいる人間です。日常的にテレワークという仮想空間で仕事をしているうちに「自分はなぜ東京に住んでいて、東京で仕事をしているのか」と思いがよぎることがたびたびあります。

私は昨年独立して今は自宅をオフィスにしています。当然通勤もありません。対面の打ち合わせはありますが月に数回程度です。

よくよく考えると、東京という物理空間で仕事をし、東京に住まなくてはいけない理由はないことがわかってきます。経済合理性でみても、生活の質(Quality of Life)や心の豊かさという点からも、あえて東京に住む理由は見出せないのです。

もう少し具体的にみていきましょう。

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働く場所としての東京が剝げ落ちる

コロナ禍でもっとも大きな変化があったのは仕事環境でしょう。働く場所としての東京の意味が問われているのです。

同じ作業を「早く」「正確に」「安く」やることが求められた時代では、皆が同じ物理空間(オフィス)に通い、上司が号令をかけて一斉に業務に取りかかることが合理的でした。東京のような都市は、頭脳を一か所に集めて効率的に作業をする空間として優位性を持ってたわけです。

しかし産業の発展とともに仕事のやり方も一か所で皆が同じ作業をやるような仕事は少なくなる。反対に「ほうれんそう会議」のような情報共有だけのために同じ物理空間に集まることの弊害(生産性の低下)が目立ってきます。

皆が同じ物理空間で仕事をすることの弊害が目立ってきたタイミングで起きたのがコロナ禍です。物理空間が「主」で仮想空間が「従」だったのがコロナ禍では主従関係が逆転します。

その結果どうなったでしょうか。

リモートでも仕事って案外できるんだね

という気付きにつながるわけです。たしかにZOOM疲れのような現象も一部で起きていますが、全体としては仮想空間を「主」とするほうが生産性が上がると実感した人が多いのではないでしょうか。「仕事はオフィスという物理空間でしかできない」とか「会議は全員一緒にこの時間にやらなくてはいけない」など、様々な固定観念が実は正しくなかったことが発覚します。

こうして「働く場所」としての東京の優位性は幻想だったことがわかってきます。

東京に住むメリットが低下

働く場所への意識が変われば当然「暮らし」に対する意識も変わります。暮らしへの意識の変化はまず住む場所に向けられます。テレワークが主となると東京のオフィスで仕事をする機会が減る。では東京に住むメリットや意味はどこにあるのか、ということです。

高い生活コスト

多くの人が東京に住む理由は仕事でしょう。通勤距離を短くしたいので東京に住んでいる人も多いはずです。私もそうでした。

しかしテレワークの浸透で東京のオフィスへの通勤も減っていくとなると東京に住むことのメリットは低下し、代わりに経済面でデメリットが出てきます。そのデメリットとは

生活コストの高さ

です。下のグラフは家計の生活余裕度(余裕資金/可処分所得)を都道府県別に比較したものです。余裕資金とは可処分所得から基礎的支出(食料、家賃、通勤費など生活に必要な支出)を差し引いたもので、娯楽や旅行などにまわせる資金のことです。

都道府県別「生活余裕度」(年収300-600万円)

都道府県別「生活余裕度」(年収300-600万円)

これをみると都道府県の中で生活余裕度が最も低いのが東京であることがわかります。同じ所得を稼いでも東京より三重県に住むほうが1割も生活に余裕が生まれるのです。このグラフは年収300~600万円の中間層世帯の結果ですが、低所得層や高所得層でも結果は同じです。特に低所得層はもともと生活余裕度が低いため東京に住むことの負担は大きくなっています。

テレワークに向かない住環境

東京の生活余裕度が低い主因は家賃の高さにあります。東京都の家賃は全国平均のおよそ2倍と突出して高いことが分かっています。東京の家賃の高さは「通勤のためのコスト」と言うこともできます。しかしテレワークの普及で通勤がなくなれば高い家賃は説明がつかなくなるでしょう。

もう一つ指摘しなくてはいけないのが東京の住環境です。下のグラフは住宅の延べ面積を都道府県で比較したものです。東京都は1住宅当たり65.18㎡と富山県の半分に満たないのです。

1住宅当たり延べ面積の都道府県ランキング

家賃の高さと同様、狭い住空間も通勤をするための代償です。しかし通勤頻度が低下して代わりにテレワークが普及するとなると狭い住空間はコストとしても成立しません。最近はテレワークでストレスを抱える人も多いようですが、主因は住環境にあるようです。

狭い住空間でしかも子供のいる世帯となると、とても仕事などできる環境ではないでしょう。レンタルオフィスやカフェなどサードスペースの環境整備はもちろん必要ですが、それはあくまで補助的なものです。まずはベースとなる住空間がテレワークに相応しい広さや構造になっていることが必要です。

今後自由に働く場所を選択できるようになると、オフィスへの通勤を前提とした東京の地理的優位性がどんどん剥がれ落ちていくでしょう。そうなると先のように通勤のために東京に住む経済合理性がなくなります。

物理空間でのつながりが減る

東京に住む目的が「オフィスへの通勤」だった人はあえて東京に住む理由はなくなります。通勤から解放されると収入が同じなら生活余裕度の高い地方に移住したほうが合理的だからです。

地方への移住は経済合理性だけではありません。働く場所が仮想空間になると今度は仮想空間にないものを物理空間に求めるようになります。今まではオフィスという物理空間で人とコミュニケーションを取っていたのが仮想空間では十分できません。

そうなると住んでいる地域のコミュニティのようなものがより大事になってきます。私自身テレワークに移行してから物理空間で人と話しをするのは妻だけ、という日が多くなりました。マンション住まいだと隣同士のつながりが希薄になりがちで、コミュニティのようなものは生まれにくいのです。

地方の魅力の一つは物理空間で個と個のつながりが生まれやすい点にあります。そこで生まれたつながりが土地やコミュニティへの思い入れを強くし、その人の生活の豊かさに大きな影響を与えるようになります。隣近所とめったに話をしない都心の生活とは決定的に異なります。

受け入れ側の地方も発想の転換が必要

このように地方には明らかに風が吹いています。経済合理性の観点からも心の居場所という観点からも地方の優位性は高まっています。それはコロナ禍による特需的なものではなく感染収束後も続く構造的な現象です。

「住む場所」としての魅力を高める

ただその風を味方につけるには地方側の努力も必要になってきます。

仕事の物理的制約から解放され、自分で自由に好きな場所を選んで住めるようになる。受け入れ側の地方にとってこれは何を意味しているのでしょうか。やや極端な言い方をすると、

住んでみて肌に合わなければすぐに他の土地に引っ越す

ということです。要は風が吹いているからといって何もせず待っているだけではだめだということです。本当の意味での地方間競争の時代はこれからはじまるのだと思います。

ここ数年地方は旺盛なインバウンド需要を取り込むために観光に力を入れてきました。しかし非日常空間を楽しんでもらうのと日常空間の居心地の良さをアピールするのでは発想がまったく異なります。住む場所として地元の魅力をどう伝えるか。場合によっては観光誘致とバッティングすることもあることを覚悟しなくてはいけません。

地元企業の役割は重要

その土地への思い入れや住む場所としての魅力を高める上で重要になるのがその地域にしかない魅力的な商品・サービスです。

例えば食事をするにしても「全国チェーン店」しかなければその土地に移住する意味は低下するでしょう。その地域でしか食べられない「地域に根差した個人経営の食堂」のほうがその土地への愛着が生まれるはずです。

全国チェーンになはいそこでしか味わえない価値。当の全国チェーン店も重要な課題として認識しています。全国津々浦々にあるコンビニも飽和化が懸念されており、

いつでもどこでも同じ質とサービスを提供するだけではない「何か」

が求められているのです。その何かとは地元の生産者の想いを消費者につなげることだったりします。
参考記事:地方のスーパーが最強なワケ-「四方よし」で地域を元気にする

それでも東京はオワコン化しない

ここまで東京一極集中の限界とそれを受け止める地方の役割について考えてきました。では東京は都市としての魅力を失いオワコン化してしまうのでしょうか。

私は東京がオワコン化するとはまったく思っていません。むしろ、

都市としての価値をアップデートできる好機

ではないかと考えています。たしかに通勤を前提にした住む場所としての東京の優位性は剝げ落ちるでしょう。しかし高度な都市機能を提供する物理空間としての東京の価値はより高まるはずです。これまでのように住む場所と高度な都市機能が同じ物理空間にあることに無理があったとは言えないでしょうか。

住む場所と都市機能の不整合はあちこちで起きています。20年9月に行われた「大阪都構想」に対する住民投票の結果もその一つ。大阪市の廃止に対し住民の多くは住む場所を奪われるような気持ちだったのではないでしょうか。高度な都市機能と居心地の良い住む場所は必ずしも両立しないのです。

東京は世界の都市間競争に勝つための高度な都市機能を追及すべきです。最上級のビジネス会議やエンターテイメント、スポーツなどを提供するディズニーランドのような物理空間にする。今のように日常的に住む場所は必要なく、非日常的な空間を提供するホテルがあればよいでしょう。

そうすることで世界中から多くのお金が集まり仕事が生まれます。その仕事は東京のオフィスで行う必要はありません。地方のあちこちに点在する頭脳がその仕事を仮想空間でこなし、そこで得たお金を地元で消費することで地方は豊かになります

中央集権型から地方分散型への移行はこうして実現していくような気がします。東京一極集中の緩和は明るい未来への一歩かもしれません。