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「終わらないコンテンツ」が熱い(エンタメ編) -ロングランドラマと宝塚歌劇の共通点

技術が衰えても価値は低下しない

プロセスを大切にする宝塚ファンの行動はまさに経験価値を求めていると言えるでしょう。俳優として未完成な状態からファンとなり、やがて立派な「男役」スターになるまでの成長プロセスを見守る。応援する期間が長いほど応援マインドが蓄積され、満足度も高くなるのです。

応援対象が成長するほど満足度が高まるのはファン心理として当然です。しかし応援対象が必ずしも成長し続けるとは限りません。技術レベルがピークを迎え、衰退していくこともあるでしょう。

所有・使用価値でみると、購入した商品の品質が低下すれば満足度も低下します。しかし経験価値の場合、品質や技術は低下しても価値が低下することはありません

「あきた森の宅配便」のような生産者の顔が見える産直サイトでは、不作で山菜の品質が悪い年があっても応援する生産者が一生懸命取ってくれた山菜の購入を止めたりはしないでしょう。むしろ大変な時こそ応援マインドが高まるので購入を増やすかもしれません。

アーティストやスポーツ選手に対するファンの気持ちも同じです。年齢とともにかつてのキレのあるプレーは期待できないかもしれませんが、それだけで長年伴走してきた選手を突き放すようなことはしないでしょう。

ロングランドラマでは好きな役者が途中で降板することは珍しくありません。ウォーキングデッドでは主人公のリックがシーズン9で降板します。がっかりしたファンも多かったと思いますが、「思い入れ」という経験価値が蓄積されているため、離脱するファンは少なかったようです。

経験価値が蓄積された作品には「何があっても最後まで見届ける」ファンがついています。

「不便益」をもたらす

終わらないコンテンツは「不便さ」との相性が良いようです。

宝塚劇場の本拠点は宝塚市にある「宝塚大劇場」です。大阪市から電車で約40分の宝塚市に毎年100万人以上が訪れています。大阪梅田にも梅田芸術劇場という立派な劇場があるのにホームグランドはなぜ不便な宝塚市に置いているのか。それは宝塚市の宝塚大劇場がファンにとっての「聖地」になっているからです。

便利な大阪市ではなく不便な場所の宝塚市を聖地にする。宝塚駅で降りたファンは大劇場に向かう道程で宝塚モードにスイッチが切り替わると聞きます。これはあえて不便なことから生み出されるものに積極的な価値を見出そうとする「不便益」の考え方に通じます。

ITサービスが過去コンテンツを蘇らせる

終わらないコンテンツの価値を高める役割を果たしているのがITサービスです。

松原みきの「真夜中のドア~stay with me」という曲をご存知でしょうか。発売から40年以上経ったこの曲が世界中でブレイクしているそうです。Apple MusicのJ-Popランキング入りしたのをはじめ、Spotifyのバイラルチャートでも上位にランクインしました。

過去コンテンツが再び現代に蘇り注目を浴びる。まさしく終わらないコンテンツです。ウォーキングデッドのウォーカー(ゾンビ)は好ましくない蘇りですが、過去の作品が再評価されて蘇るのは素晴らしいことです。

過去コンテンツが蘇るメカニズムはこうです。

  1. YouTubeやSpotifyで松原みきの「真夜中のドア~stay with me」が何気に流れてくる。
  2. 松原みきを知らない若い人が「これはいい曲!」と好反応。松原みきをリアルタイムで知る中高齢層も改めてこの曲の良さに気付く。
  3. 素晴らしい曲に出会った体験(セレンディピティ)をSNS等で拡散。フォロワーもその曲を聴き感動して拡散する。

このように現代はストリーミングサービスで過去のコンテンツが現代に蘇り、SNSを通じてそのコンテンツが「終わらないコンテンツ化」しています。

「終わらないコンテンツ」の流れは止まらない

消費スタイルは時代とともに変化します。人々の生活が豊かになるにつれ、モノを所有することに喜びを見出す所有価値の要素は低下し、利用することに重きを置く使用価値にシフトしました。今は所有にも使用にも大きな価値を見出すことは困難になり、消費者一人一人が商品・サービスを通じて得る「経験」や「プロセス」に大きな価値を見出す時代になっています。

所有と使用による消費は目的が果たされた直後から価値が低減する運命にあります。その年に記録的な売上となった商品・サービスをランキングしたのが「ヒット商品番付」です。その中で翌年以降もランクインし続けているものがどれだけあるでしょう。ヒット商品番付に載る商品の多くは「終わりのあるコンテンツ」です。多くの企業は品質や価格だけで差別化が困難になっていることを痛感しています。

一方、プロセスそのものに価値を見出すのが「終わりのないコンテンツ」です。終わりのないコンテンツの価値は「プロセスそのもの」にあるため低減することはありません。むしろ時間とともに経験価値が蓄積され、価値が高まっていきます。

これを哲学用語で表現すると、

  • 終わりのあるコンテンツ:「キーネーシス的
  • 終わりのないコンテンツ:「エネルゲイア的

と言い換えることができます。

  • キーネーシス的な考え
    目的地を設定しそこへの到達を目指す考え方

    登山に例えると目的は「登頂すること」。山頂にたどり着けない場合は失敗とみなす。
  • エネルゲイア的な考え
    過程そのものを結果(目的)とみなすような考え方
    登山に例えると目的は「登山そのもの」。山頂にたどり着くかどうかはあまり関係ない。

私は人々の生活をより豊かにするには、登頂を目的とするキーネーシス的な考えより、登山そのものを目的とするエネルゲイア的な考えが必要だと感じています。

結果より過程そのものを楽しむ

終わらないコンテンツは豊かな消費生活を目指す上で必要な流れなのかもしれません。