「終わらないコンテンツ」が熱い -ロングランドラマと宝塚歌劇の共通点

【記事のポイント】

  • 終わらないコンテンツ」が消費の重要なキーワードに
    (例)ロングランドラマ、宝塚歌劇、ソーシャルゲーム、サブスクサービスなど
  • 「終わらないコンテンツ」が人を惹きつける理由
    - 時間が経つほど満足度が向上
    所有・使用よりプロセスを重視)
    - 品質・パフォーマンスが低下しても価値は低下しない(ファンの応援心理)
    - 過去コンテンツが再評価される(サブスクで何気に流れた昔の曲が刺さる)
  • 「終わらないコンテンツ」は今後の消費の主流になる
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終わらないコンテンツに夢中になる人々

オワコンとは「終わったコンテンツ」のことを指しますが、今後は「終わらないコンテンツ」という意味のオワコンが消費の重要なキーワードになりそうです。

増加するロングランドラマ

「終わらないコンテンツ」を象徴するのがロングランドラマです。

普通ドラマには終わりがあるものですが、海外ドラマには10年以上続くロングランドラマが数多くあります。

  • 「24」(2001年-2014年
  • 「ウォーキングデッド」(2010年-2022年終了予定)
  • 「ボーンズ」(2005年-2017年)
  • 「CSI:科学捜査班」(2000年~2015年)
  • 「NCIS 〜ネイビー犯罪捜査班」(2000年~現在)

2000年以降に開始した10年以上続くドラマを取り上げてもこれだけ出てきます。

私も海外ドラマは結構観るほうです。ウォーキングデッドがシーズン11(21年8月放送予定)で最終シーズンになると聞いたときは、何とも言えず寂しい気持ちになりました。同じドラマを10年以上も見続けるとストーリーがどうとかという次元を超えた何かが自分の中に生まれているのを感じます。

海外ドラマほどではありませんが、日本のドラマも負けていません。2000年にスタートした刑事ドラマ「相棒」は20年以上続いています。「連ドラ」の愛称で親しまれてきたNHKの連続テレビ小説は帯ドラマ形式ですが、観ている側は同じ世界観を共有しながら各ドラマを見続けているはずです。

宝塚劇場とソーシャルゲーム

宝塚劇場

終わらないコンテンツはドラマだけでありません。1914年の創設以来100年以上続く「宝塚劇場」は終わらないコンテンツそのものと言っていいでしょう。宝塚劇場のコンテンツは「タカラヅカ」という世界観です。演目はコンテンツの一部にすぎません。その世界観はファンと一緒に創り上げるものです。

「男役10年」と言われるように、宝塚ファンの多くはお気に入りの「男役」をスター候補生の黎明期から伴走しながら支え続けます。演劇という完成品を鑑賞して終わるのではありません。初めはぎこちなかった演技が演目を重ねるうちに男役の色気が身に付くようになる。宝塚ファンはプロセスをとても大切にしています

未完成の状態から男役として完成品になり、卒業(退団)するまでの長期間伴走し続ける。まさに終わらないコンテンツです。

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ソーシャルゲーム

ゲームも終わらないコンテンツ化が進んでいます。従来のゲームはあらかじめ設定されたゴールをクリアするものでした。しかし昨今のソーシャルゲームは運営側が新たな要素をどんどん追加してくるのでゴールがどんどん変わっていくようです。

終わりのないゲームを実現可能にしているのがAIです。AIがゲームの展開を学習し新たな要素を追加していくので、参加者からすると常に予期できない展開が待っており、ワクワク感が継続する仕組みになっています。

終わらないコンテンツがなぜ人々を魅了するのか

新規顧客の獲得には既存顧客維持コストの5倍かかるとも言われています。ですので企業・制作サイドからみれば「終わらせない」ほうがメリットが大きいのは理解できるでしょう。

では顧客・ユーザー側はなぜ終わらないコンテンツに惹きつけられるのでしょう。

所有・使用よりプロセスに価値を見出す

時間が経つほど満足度が上昇

私たちは生活に必要なものは一通りそろった時代に生きています。「いつかはクラウン」と言われた50-60年代の消費とは「所有すること」でしたが、自家用車が普及するにつれてレンタカーやカーシェアリングが普及、消費の流れは「使用すること」に移っていきました。

そして現在、人々はモノを所有・使用することより「経験すること」に価値を見出すようになっています。

所有・使用価値と経験価値の違いは時間と価値の関係性に表れます。下の図にあるように、「すでに出来上がった商品・サービス」を対象とする所有・使用価値は商品を購入・使用した時点から満足度が低下しはじめます。

これに対し、プロセスの中に楽しみを見出す経験価値は時間が経てばたつほど満足度が高まっていくため、必然的に「終わらないコンテンツ化」していきます。

価値と時間の関係性

時間と価値の関係性

技術が衰えても価値は低下しない

プロセスを大切にする宝塚ファンの行動はまさに経験価値を求めていると言えるでしょう。俳優として未完成な状態からファンとなり、やがて立派な「男役」スターになるまでの成長プロセスを見守る。応援する期間が長いほど応援マインドが蓄積され、満足度も高くなるのです。

応援対象が成長するほど満足度が高まるのはファン心理として当然です。しかし応援対象が必ずしも成長し続けるとは限りません。技術レベルがピークを迎え、衰退していくこともあるでしょう。

所有・使用価値でみると、購入した商品の品質が低下すれば満足度も低下します。しかし経験価値の場合、品質や技術は低下しても価値が低下することはありません

「あきた森の宅配便」のような生産者の顔が言える産直サイトでは、不作で山菜の品質が悪い年があっても応援する生産者が一生懸命取ってくれた山菜の購入を止めたりはしないでしょう。むしろ大変な時こそ応援マインドが高まるので購入を増やすかもしれません。

アーティストやスポーツ選手に対するファンの気持ちも同じです。年齢とともにかつてのキレのあるプレーは期待できないかもしれませんが、それだけで長年伴走してきた選手を突き放すようなことはしないでしょう。

ロングランドラマでは好きな役者が途中で降板することは珍しくありません。ウォーキングデッドでは主人公のリックがシーズン9で降板します。がっかりしたファンも多かったと思いますが、「思い入れ」という経験価値が蓄積されているため、離脱するファンは少なかったようです。

経験価値が蓄積された作品には「何があっても最後まで見届ける」ファンがついています。

「不便益」をもたらす

終わらないコンテンツは「不便さ」との相性が良いようです。

宝塚劇場の本拠点は宝塚市にある「宝塚大劇場」です。大阪市から電車で約40分の宝塚市に毎年100万人以上が訪れています。大阪梅田にも梅田芸術劇場という立派な劇場があるのにホームグランドはなぜ不便な宝塚市に置いているのか。それは宝塚市の宝塚大劇場がファンにとっての「聖地」になっているからです。

便利な大阪市ではなく不便な場所の宝塚市を聖地にする。宝塚駅で降りたファンは大劇場に向かう道程で宝塚モードにスイッチが切り替わると聞きます。これはあえて不便なことから生み出されるものに積極的な価値を見出そうとする「不便益」の考え方に通じます。
参考記事:「不便」が価値を生む時代

ITサービスが過去コンテンツを蘇らせる

終わらないコンテンツの価値を高める役割を果たしているのがITサービスです。

松原みきの「真夜中のドア~stay with me」という曲をご存知でしょうか。発売から40年以上経ったこの曲が世界中でブレイクしているそうです。Apple MusicのJ-Popランキング入りしたのをはじめ、Spotifyのバイラルチャートでも上位にランクインしました。

過去コンテンツが再び現代に蘇り注目を浴びる。まさしく終わらないコンテンツです。ウォーキングデッドのウォーカー(ゾンビ)は好ましくない蘇りですが、過去の作品が再評価されて蘇るのは素晴らしいことです。

過去コンテンツが蘇るメカニズムはこうです。YouTubeやSpotifyなどで何気に流れてきた松原みきの「真夜中のドア~stay with me」。松原みきというアーティストを知らない若い人も「これはいい曲!」と反応します。素晴らしい曲に出会った体験(セレンディピティ)をSNSで拡散、それを聴いたフォロワーも感動し拡散する。こうして過去のコンテンツが現代に蘇り、「終わらないコンテンツ化」していきます。

終わらないコンテンツの流れは止まらない

消費スタイルは時代とともに変化します。人々の生活が豊かになるにつれ、モノを所有することに喜びを見出す所有価値の要素は低下し、利用することに重きを置く使用価値にシフトしました。今は所有にも使用にも大きな価値を見出すことは困難になり、消費者一人一人が商品・サービスを通じて得る「経験」や「プロセス」に価値を見出す時代になっています。

所有と使用による消費は目的が果たされた直後から価値が低減する運命にあります。その年に記録的な売上となった商品・サービスをランキングしたのが「ヒット商品番付」です。その中で翌年以降もランクインし続けているものがどれだけあるでしょう。ヒット商品番付に載る商品は「終わりのあるコンテンツ」です。多くの企業は品質や価格だけで差別化が困難になっていることを痛感しています。

一方、過程そのものに価値を見出すのが「終わりのないコンテンツ」です。終わりのないコンテンツの価値は「過程そのもの」にあるため、低減することはありません。むしろ時間とともに経験価値が蓄積され、価値が高まっていきます。

これを哲学用語で表現すると、終わりのあるコンテンツは「キーネーシス的」、終わりのないコンテンツは「エネルゲイア的」となります。

  • キーネーシス的な考え
    目的地を設定しそこへの到達を目指す考え方

    登山に例えると目的は「登頂すること」。山頂にたどり着けない場合は失敗とみなす。
  • エネルゲイア的な考え
    過程そのものを結果(目的)とみなすような考え方
    登山に例えると目的は「登山そのもの」。山頂にたどり着くかどうかはあまり関係ない。

私は人々の生活をより豊かにするには、登頂を目的とするキーネーシス的な考えより、登山そのものを目的とするエネルゲイア的な考えが必要だと感じています。

結果より過程そのものを楽しむ

終わらないコンテンツは豊かな消費生活を目指す上で必要な流れなのかもしれません。