「空から降ってきた隕石」
老舗喫茶店の相次ぐ閉店
新型コロナウイルスの影響で閉店に追い込まれる飲食店が相次いでいます。喫茶・カフェ業界もその一つです。
東京・渋谷の一等地で1975年から営まれてきたレトロ喫茶「珈琲の店 Paris COFFEE」。自粛営業のまま再開することができず20年5月26日に閉店を余儀なくされました。閉店を告げる長文の貼り紙には、「余力のない個人経営の小さな喫茶店にとってコロナウイルスは空から降ってきた隕石のようなものでした」と記されていました。常連客らの閉店を惜しむ声は今も続いています。
東京・練馬駅前にある1971年創業の「喫茶アンデス」。コロナ禍の影響で20年5月22日に休業、そのまま再開することなく同年8月8日に閉店となりました。同店はあだち充さんの漫画『タッチ』に登場する喫茶店のモデルとしても知られる名店です。
個人喫茶店はここ40年ほど厳しい状況にあります。日本では70年代にインスタントコーヒーの普及とともに喫茶店ブームが起きましたが、ドトールなどのリーズナブル・タイプが進出する中で昔ながらの個人喫茶店は減少し続けます。同業の個人喫茶店が次々消えていく中、コーヒーと顧客に真摯に向き合い続けながら価値を高めてきたのがParis COFFEEや喫茶アンデスのような「生き残り」の個人喫茶店だったのです。その生き残り組が閉店を余儀なくされる。由々しき事態というほかありません。
2020年はカフェ市場が蒸発
昔ながらの個人喫茶店があっという間に閉店に追い込まれる。喫茶・カフェ業界が今直面しているのはまさしく「空から降ってきた隕石」そのものです。
下のグラフをご覧ください。2020年と2019年の家計の喫茶代を比較したものです。喫茶代は志村けんさんの新型コロナウイルス感染報道があった2020年3月下旬から目に見えて落ち込み始めます。極めつけは緊急事態宣言(4/7-5/24)です。同期間中、喫茶代は平均で7割減少、ゴールデンウィーク期間中はなんと9割の減少となりました。
2020年の喫茶店支出の前年比較
緊急事態宣言中のカフェ市場はまさしく「蒸発」という状況でした。2021年以降は少しずつカフェ需要は戻ってきましたが、一度閉店してしまった喫茶店が戻ることはありません。
「消えてはいけないもの」が消える
「空から隕石」が降ってきたら個人喫茶店のような中小店舗はひとたまりもありません。閉業に至る店舗には、
- 消えるべくして消えていくお店
- 消えてはいけないお店
の2つのタイプがあります。前者は産業の新陳代謝として致し方ないケースですが、後者はそうではありません。消費者を魅了する価値空間を提供しているのに、外部環境の急激な悪化等によって閉店に追い込まれるケースです。価値あるお店が消えるのはカフェ業界全体からみても大きな損失となります。
個人喫茶店はどちらのケースに相当するのでしょう。喫茶店の数は事業所ベースで67,198店(総務省「平成28年経済センサス」)あり、これらを一緒くたにはできませんが、少なくとも冒頭の老舗店のようなお店は「消えてはいけない店」であることは明白です。
カフェ市場の豊かな生態系
「個人喫茶店が潰れるくらいでカフェ業界が沈むことはないだろう」
こうした見方があるのも事実です。個人喫茶店は規模が小さいので「カフェ市場全体に与える影響は小さい」というわけです。しかしカフェ市場における個人喫茶店の役割・プレゼンスの重要性を理解すればそうは言っていられないことがわかります。価値ある個人喫茶店が消えることで業界全体がダメージを受ける可能性もあるのです。
代表的な4つの店舗タイプ
まずはカフェ業界がどのような構図になっているのか整理する必要があります。カフェ業界の店舗は大きく以下の4つのタイプに分けられます。
- 本格コーヒー・タイプ
- フルサービス・タイプ
- リーズナブル・タイプ
- 低価格タイプ
1つめの「本格コーヒー・タイプ」は本格的なコーヒーを居心地のよい空間で提供するお店です。豆の産地や淹れ方などにこだわったサードウェーブ系のブルーボトルコーヒー、ブルーボトルコーヒーが手本にしたとされるカフェ・ド・ランブル(銀座)のような高級喫茶店がここに入ります。
2つめの「フルサービス・タイプ」は、席で注文を取りコーヒー以外の料理を充実させるなど、店内の居心地の良さを追求するタイプです。飲みやすいコーヒーと分量の多い料理を出すコメダ珈琲や上島珈琲、電源コンセントやネット環境を整備しサラリーマン層に快適空間を提供するルノワールなどです。
3つめの「リーズナブル・タイプ」は1,000店を超えるドトールやスターバックスを中心としたコーヒー市場のボリュームゾーンです。店舗運営はマニュアル化・効率化され、レジで注文して商品を受け取るセルフサービス式が主流です。
4つめの「低価格タイプ」は缶コーヒー程度の値段で質の高いコーヒーを目指すタイプです。100円コーヒーでおなじみのコンビニ・コーヒーやファストフード店のコーヒーなどです。特にコンビニ・コーヒーは「100円で淹れたてコーヒー」という新ジャンルを生み出し、ドトールなどリーズナブル・タイプを脅かしてきました。
カフェ市場の生態系
個人喫茶店は本格コーヒーとフルサービスの中間に位置
では個人喫茶店はカフェ市場の生態系のどのタイプに位置づけられるのでしょう。
Paris COFFEEのような老舗喫茶店の特徴は、
- 厳選されたコーヒー豆と名物マスターの熟練技で至高の一杯を提供
- コーヒー以外のメニューも充実
- 常連客・地元客が多くアットホームな雰囲気
という点にあります。「美味しいコーヒーと豊富なメニュー」「マスターの人柄」「アットホームな空間」が混然一体となった情緒的な空間。これは4つの店舗タイプでいうと、「本格コーヒー・タイプとフルサービス・タイプの中間」に位置づけられます。個人喫茶店は4タイプにはない独自の価値エリアを形成しています。
カフェ業界は「共存共栄」の生態系
このようにカフェ業界は個人喫茶店を含めた様々なタイプの店舗が「多様な生態系」を形成しています。店舗がこれだけ多様なのは、顧客がそれだけ多様な存在だから、ということができます。顧客はその時々のシチュエーションによって様々な顔をみせるものです。
- 時間に追われている時の顔
- 仕事帰りにほっと一息つくときの顔
- 家族や友人と楽しく過ごすときの顔
- 1人で落ち着いて考えるときの顔
といった具合に、顧客の中には様々な顔があります。カフェ業界はそれぞれの顔に対応した店舗空間を提供することで豊かな生態系を形成してきました。4つのタイプのどれか一つでも欠けると顧客ニーズが損なわれ、結果としてカフェ市場全体の生態系が崩れることになります。となると、生態系の一つの種である個人経営店が崩れれば、その影響はカフェ市場全体に波及する可能性があるわけです。
個人喫茶店の影響力
老舗喫茶店のエッセンスを引き継ぐ新しい芽
老舗喫茶店の閉店で暗くなりがちな中、ここ数年で新しい芽が育ち始めているのも事実です。08年に開店した「クルミドコーヒー」(東京国分寺)」は地域の人々との関係性を大事にした街の喫茶店です。地元農家の手伝をしながら材料を仕入れるなど、地域のつながりと循環を強く意識しています。同店の特徴は売上を過度に重視しないこと。地元の人に胡桃割りを手伝ってもらい、お礼は地域通貨で返す。売上は増えなくともコストが削減されて効率性はアップする。最後は地元の人が地域通貨をもって来店してくれる。売上より「地域との関係資本」を重視することで持続性のある経営を目指しています。
コロナ禍真っ只中の昨年、日本の素晴らしい喫茶文化を後世に残そうと若いご夫妻が開店したのが「喫茶水鯨(すいげい)」(大阪市)です。同店の内装は2020年に閉業した金沢の老舗喫茶店「禁煙室」のステンドグラスや調度品を移築して作られています。メニューも禁煙室の名物「3色のクリームソーダ」を引き継ぎ、グラスは禁煙室に残っていた割れたグラスを復元したレプリカを使用するほどの徹底ぶりです。
こうした老舗喫茶店のエッセンスを引き継ぐ喫茶店は、音楽でいうと「アナログレコード」、飲食でいうと「場末のスナック」のような存在です。スナック女子という言葉があるように、近頃は若者の間でもスナックのような顔の見えるベタな空間を求める傾向が高まっているようです。 普段はコンビニやカフェチェーンでコーヒーを飲んでいる人も、
- コーヒーについて深く知りたくなったら老舗喫茶店のマスターの話を聞きに行く
- 昭和の雰囲気を味わいたくなったら水鯨のようなレトロ喫茶に行く
- 地元の人と世間話をしたくなったらクルミドコーヒーのような地元密着店に行く
といった具合に、その日の気分に合わせてコーヒーを楽しむ空間を選ぶようになっています。
個人喫茶店は「時代の流れ」に沿っている
個人喫茶店の価値を語り出すと「それってオヤジのノスタルジーではないの?」といった指摘を受けることがあります。たしかに老舗喫茶店の閉店にノスタルジーを感じないわけではありません。ただそこにはノスタルジーを超えた時代の流れがあることを忘れてはいけません。
以前の記事で紹介したミレニアル世代やZ世代と言われる今の若者世代が好んでいくサードウェーブ系のコーヒー店舗はコーヒーが生み出す色鮮やかなストーリーや店内の居心地の良さを楽しむ空間です。老舗喫茶店はコーヒーの素晴らしさを伝達してくれますし、クルミドコーヒーは地域の人々の交流の場になっている。コーヒーを通じた情緒的な空間を提供するという点で、個人喫茶店もサードウェーブカフェもエッセンスは同じです。
コーヒー市場は現在「フォース・ウェーブ」が到来しています。自宅で自家焙煎したコーヒーを入れて楽しむ「家飲み需要」に対応した流れです。フォース・ウェーブの主役は実は「オヤジ世代」です。老舗喫茶店でコーヒーの魅力を知り、それを自宅でも味わいたいと思う人たちがフォース・ウェーブを引っ張っているのです。
せっかく生態系と呼べるまで発展してきた日本のカフェ市場を味気ないチェーン店だらけの市場に衰退させてはいけません。とりわけコピペのように替えの利かない個人喫茶店は「空から降ってきた隕石」から絶対に守らなくてはいけない存在だと切に思います。