ハンナ・アーレントが教える現代社会の「生きづらさ」-労働中心社会が人間らしさを奪う

現代人の8割以上がストレスを抱える異常さ

  • 対人関係に息苦しさを覚える
  • いつもやらなければならないことに追われている感じがする
  • SNSの反応が気になって落ち着かない
  • 読書をしても集中力が持続しない

──等々、イライラやストレスで生きづらさを感じる人が増えています。東京都が行った調査(「健康に関する世論調査」令和3年)によると、毎日の生活でイライラやストレスを感じている人の割合は8割を超えています。最近はキレる高齢者が話題に上ることが多く、イライラは老若男女問いません。

心の病で悩む人も増えています。うつ病・躁うつ病の総患者数は令和2年に172万人となり、過去20年で4倍に拡大しています(下図)。

精神疾患を有する総患者数の推移

精神疾患を有する総患者数の推移
(出所)厚生労働省「患者調査」

生きづらさの正体を追求したハンナ・アーレント

名著「人間の条件」

日常的にイライラやストレスを感じている人が8割以上もいる──とても尋常とは思えません。なぜこれほど「生きづらい」世の中になってしまったのでしょう。

生きづらい状態とは「人間らしさを失った状態」です。人間らしさについて徹底的に掘り下げたのが20世紀を代表する哲学者ハンナ・アーレントです。代表作の一つ『人間の条件』は、人間らしさについて哲学的に突き詰めた作品で、今でも多くの人々を魅了し続ける名著です。

もしアーレントが今の現代人の姿をみたら何を感じ、何を語ってくれるのでしょうか。「もしドラ」ならぬ「もしハンナ」によって、現代人のイライラや孤独感の正体について考えてみます。

人間らしい生活とは

アーレントは、人間を人間たらしめている行為として3つの活動力──「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」を掲げます。

1つめの「労働」は、生命維持にとって必要な行為(農作業、料理、掃除など)のことです。彼女は「労働とは、人間の肉体の生物学過程に対する活動力である」と述べています。私たちは生命を維持するために、農作物を生産し、収穫し、調理をする──「作っては消費」の毎日を繰り返しています。古代ギリシャでは、労働は奴隷が担ってきました。「必要性」「消費」が労働のキーワードです。

2つめの「仕事」は、永続的で耐久性のあるものを生み出す創造的な行為のことです。アーレントは仕事と労働を明確に区別しています。労働が必要に駆られて行う自然な行為であるのに対し、仕事は人間が自らの手で創造し作り出す人工的な活動です。例えば工芸品や建築物など、個々の人間が死んでも存続し得るような耐久性を持ったもの。仕事のキーワードは「創造性」「耐久性」です。

3つめの「活動」は、人間同士が言葉を通じてコミュニケーションをとったり、協力し合ったりする行為です。アーレントにとって活動の原型は古代ギリシャの「ポリス」にあります。古代ギリシャでは農作業や料理といった生命維持に必要な行為(労働)は主に奴隷が担う一方、主人のほうは損得勘定や必要性から解放された真に自由な空間──ポリスで異質な人々と自由闊達な議論を交わします(活動)。「自由」「つながり」が活動のキーワードです。

3つの活動力の中で、ものを作り出す「仕事」と人々とつながる「活動」は、人間らしさを維持する上で不可欠な要素です。しかし産業革命以降は「作っては消費」を繰り返す労働社会となり、人間らしい生活に欠かせない「仕事」と「活動」が奪われている。人間はいまや動物化の危機に直面している。──アーレントはこのように警鐘を鳴らしています。

労働中心社会で人間らしさを失う現代

その日暮らしの動物のような生活

生命維持に必要な「労働」はゼロにはできないが、労働中心の社会では人間らしさが失われる。人間らしさを取り戻すには「仕事」と「活動」を取り戻す必要がある。アーレントの指摘は今の現代社会にもそのまま当てはまりそうです。

ではアーレントの「労働」「仕事」「活動」を現代社会に置き換えるとどうなるのか。例えばサラリーマンの場合、朝起きて朝食を作り(労働)、会社に出勤し(労働・仕事)、帰宅したら夕食を準備し(労働)、汚れた体をシャワーで洗い(労働)、汚れた服を洗濯し(労働)、スマホでSNSをチェックして(活動)、就寝(労働)──という具合に、アーレントの定義に従うと現代人の一日のほとんどは労働に充てられていることになります。

週末は休日なので労働中心ではないだろう、と思われるでしょう。たしかに週末は、楽器を弾いたり絵を描いたり(仕事)、家族や仲間と美味しいものを食べに行ったりします(活動)。しかし日曜夜になると「明日は会社か」と憂鬱になり、翌日はいつもの出勤(労働)の日々に戻る──つまり余暇は「労働のパフォーマンスを最大化するために用意された時間」という側面があります。

常に労働に追われている感覚があるため、労働と消費のループによるその日暮らしの動物と変わりません。現代社会はアーレントの時代よりも労働化が進行しているといえます。

デジタル化は労働化を進行させる

デジタル化の影響も見過ごせません。デジタル化は創造性を発揮する「仕事」を「労働」に変えていきます。かつては机や靴、衣服などは工作人によって作られ、長期間にわたって使われ続ける耐久性を有した仕事でした。しかし現代の家具や衣服は同じ規格のものが安く大量生産されることで長く使われることがなくなり、労働の産物である消費財へと変化しています。映画のような創造作品も倍速視聴によって「作っては消費」のエンタメ的な消費サービスになりつつあります。仕事が労働化している証左です。
デジタル化の影響は人間同士が言論を通じて新しいものを生み出す「活動」にも影響を及ぼしています。古代ギリシャのポリスのようなお互いの顔を見ながらの交流は減少し、SNSを中心とした顔の見えないつながりの場が急拡大します。たしかに以前とは比べ物にならないほど多くの人と接続できる世界になりましたが、フィルターバブルによって見たい情報や付き合いたい人としかつながらなくなっています。

異質な人間と人間が対等に語り合い、思考停止に陥ることなく、熟慮を重ねていく──ネットの世界はポリスのようなつながりの場からはかけ離れたものです。アーレントはネット社会のような「正体の不着していない活動は無意味」とし、活動とはみなしていません。他者たる人間が固有の存在であることが明らかになって初めて活動は活動たり得る、と述べています。

「仕事」と「活動」を取り戻すには

「作っては消費」を繰り返す労働中心社会が私たちから人間らしさを奪っている。アーレントの指摘が正しいとすれば、創造的な「仕事」と人間同士が真につながる「活動」を取り戻さない限り、その日暮らしの動物のような生活から抜け出すことはできない──となります。

では仕事と活動を取り戻すにはどうすればいいのでしょう。

「仕事」を取り戻すには-ソリチュードになる

美術作品のように永続的で耐久性のあるものを作り出す「仕事」を取り戻すには、一人ひとりが内的自己(内側の自分・内的な感情)としっかり向き合う必要があります。創造的な仕事は時間がかかります(コスパ・タイパが悪い)。内的自己が不安定だと「こんなことしてる場合ではない」と結果が出る労働の世界に逃げ込もうとするからです。

内的自己を磨くには孤独を味方にする必要があります。孤独にはロンリネス(lonliness)ソリチュード(solitude)の2種類があります。ロンリネスは孤独によって生じるネガティブな感情(不快、苦痛、寂しさ)のことです。一方、孤高とも訳されるソリチュードは、一人の状態をポジティブに捉える感情(喜び、充実、味わい)を表します。

内的自己に向き合うのはソリチュードです。ソリチュードの状態であれば一人でも寂しい気分にならず、時間を忘れてモノづくりに没頭できる──「仕事」を取り戻すことができるでしょう。

ソリチュードの時間を増やすには趣味のようなものが有効です。私の場合、趣味のギターを弾いているときや好きな著者の本を読んでいるときがソリチュードでいられるときです。好きな時に、好きな場所で、行き好きなことをして自分だけの時間を過ごす「ソロ活」もソリチュードです。

ソリチュードの大敵はスマホ。youtubeにはうまく弾ける動画など有益な情報が溢れていますが、動画をみながらギターを弾いても没頭することはまずありません。ソリチュードとデジタルは相性が悪いのです。

「活動」を取り戻すには-顔の見える関係性

「仕事」には内的自己と向き合うことが必要ですが、「活動」に必要なのは外的自己(外側の自分・他者に対する適応)です。異質な他者を受容・尊重し、媚びることなく自分の意見を主張し、自分の行動に責任を持つ──これが外的自己です。内的自己と外的自己によって私たちは真に「自由」を享受し、人格の統一性、自己同一性を保つことができます。

外的自己を磨くには他者との顔の見える関係性が不可欠です。他者と協力し合い、意見を交換することで自分との違いを認識し、自分のアイデンティティを確認する──相手が何者かわからない状態でこのような「活動」は生まれないからです。

外的自己を磨きながら「活動」を取り戻すには、他者と接触する機会を増やすことが必要です。友人と飲みに行く、散歩をしながら近所の人に声をかける、馴染みの店員さんと世間話をする──こうした身近なことで外的自己は磨かれます。

しかし先に述べたように、現代はネット社会によって以前なら当たり前だった顔の見える関係性が当たり前でなくなりつつあります。アーレントによれば、真の孤立とは、人と人のあいだの空間が埋め尽くされ、身動きがとれなくなるような状態に陥ったときに生まれます。顔の見える「活動」を取り戻すには意識的にネットの世界から遠ざかることも必要ということでしょう。

ギリシア人の都市国家は、知られる限り、最も個人主義的で、最も画一的でない政治体であった。それは、彼らが、活動と言論を強調するポリスが生存できるのは、ただその市民の数が制限される場合だけであるという事実をよく知っていたからである。
『人間の条件』ハンナ・アーレント

まとめ

「作っては消費」を繰り返す労働中心社会によって人間らしさを失っている──今から100年以上前のアーレントの言葉は、今日のデジタル社会において一層重みを増しているように思えます。

アーレントが重視する創造的な「仕事」と他者とつながる「活動」は、以下のような身近な行動によって取り戻すことができます。

  • 没頭できるものを見つけてソリチュードになる(仕事)
  • デジタル空間からいったん距離を置く(仕事、活動)
  • 親しい仲間と食事に行く(活動)
  • 近所の人に声をかける(活動)

──こうした行動を心がけるだけで動物的な毎日から解放され、人間らしさを取り戻すことができる。私もアーレントのアドバイスに従ってみようと思います。