「不便」が価値を生む時代-不便を楽しむには心の余裕が必要

【記事のポイント】

  • 不便だからこそ得られる益のことを「不便益」と呼ぶ。
  • インターネットで効率的に情報を得られてもどこか「腹落ちしない」と感じることは多い。
  • 不便益の価値は以下の3点
    ① 便利なものにはない「意味やストーリー」が隠されている。
    ② 目的より「プロセス」そのものを楽しむことができる。
    ③ 不便であればあるほど「記憶」に残りやすい。
  • 不便益の価値を享受するには「心の余裕」が不可欠

「不便益」とは何か

デジタル化が急速に進む中、私たちの身の回りにある商品・サービスはどんどん効率化され「便利」になっています。

  • 早送りでドラマや映画を見る「倍速視聴」
  • お湯をかけずにそのままかじる日清「0秒チキンラーメン」
  • 炒める・煮込む・蒸すなど1台9役の調理ができるAINXの電気鍋

このように、コストパフォーマンス(コスパ)・タイムパフォーマンス(タイパ)の向上を追求した新商品・サービスが次々登場しています。

しかしその一方、「便利さ」とは真逆の概念──あえて手間や時間をかけることに積極的な価値を見出そうとする「不便益(benefit of inconvenience)」という考えがじわじわと浸透しつつあります。世の中が便利になればなるほど、反対方向の不便さの価値に気付く人が多くなっているのです。

不便益の名付け親とされる京都大学の川上教授は、効率だけを正解とする風潮は何か「押し付けられた宗教」のようだ語っています。

不便益はどこにあるのか

生活の中に隠れた「不便益」。一体どのような場面で現れるのでしょうか。

ネットから離れる

このブログを書くための情報の多くはインターネットから得ています。以前なら本を何冊も購入したり図書館に行ったり丸一日かけていたのが、今は自宅で瞬時に情報が得られます。しかし、効率的に得た情報に対して、「どこか腹落ちしない」「もっと深く理解したい」と感じることはないでしょうか。そうした時、私はいったんネットの便利な世界から離れ、あえて外に出て不便なリアルの現場に足を運ぶようにしています。

コロナ禍では、あえて混雑するスーパーへ足を運ぶ人の姿がみられました。感染リスクがあるのになぜ外に出て買い物をするのか。ネットで調べても理由はわかりませんが、現場に行けば一目瞭然です。

そこには、顧客と店員が楽しそうに話をしている姿がありました。どれだけ混んでいてもセルフレジは利用せず、馴染みの店員さんのいるレジに並んでいるのです。

  • 買い物は、単なるモノの購入ではない。
  • 人とのつながりを確認するためにスーパーに足を運ぶ人も多い。

こうしたことを知るわけです。不便益を目の当たりにした瞬間です。

自分の足で街を感じる

私たちが日常的に行っている「移動」も不便益が詰まった宝庫です。

以前の私は普通に電車通勤でオフィスと自宅を往復していましたが、独立して自宅をオフィスにしてからは通勤というものがなくなりました。最近は健康維持のためにウォーキングをするようにしています。以前は電車で通っていたところを歩いてみると、電車の窓から見ていた景色とはまるで違う街の景色が飛び込んできます。歩くことで土地の高低や水の流れを感じ、街の歴史と道や区画ごとの役割を知り、住んでいる人の生活の営みのようなものも感じることができるのです。

地方の暮らしに欠かせないのは車ですが、車に過度に依存しすぎると不便益は得られません。近所のスーパーに行く程度の移動なら歩く。そのほうが、すれ違う人と会話もできますし、何より健康的です。

電車や車で移動する便益を捨て、自分の足でゆっくり移動することで普段暮らしている土地の解像度が上がり、人とのつながりも強化される。「自分の足で街を感じる」ことも不便益の一つです。

不便益を形づくる3つの要素

あえて「手間」や「時間」をかけることが、なぜ私たちの心を豊かにするのか。そこには3つの要素があります。

① 意味とストーリー

不便益を享受するには、どうしても時間と手間がかかります。しかし、その「余白」があるからこそ、モノやサービスに込められた背景(意味とストーリー)を深く味わうことができます。ドラマを倍速視聴すれば、あらすじは追えますが、ストーリーを味わうことはできません。

アナログレコードは意味やストーリーが込められた商品の代表です。今の時代、YouTubeやSpotifyのようなストリーミングサービスがあれば、いつでもどこでも好きなときに音楽が聴けます。そうした中で再び注目が集めているのがアナログレコードです。

「ジャケットから取り出し、ターンテーブルにセットし、針を落とす」──この一連の儀式を経ることで、これから流れる音楽への期待感が醸成され、聴き終わった後はミュージシャンの世界観に一歩近づけたような特別な感覚が得られます。音楽のストーリー性に触れるこの感覚はCDやストリーミングサービスでは得にくいものです。

時代遅れの象徴と言われた「ハンコ」も不便益を宿しています。ハンコには2つの価値があります。一つは本人であることを証明する機能的価値です。機能的価値としてのハンコは「オワコン」ですので、河野(元)行政改革大臣が訴えていた「脱ハンコ」は正論です。

しかし、婚姻届けのように人生の節目となる場面では、ハンコを押すという重みのある行為が特別な意味を持ってきます。これがもう一つの価値、情緒的価値です。ハンコは決意や思い出という「意味」を身体に刻んでくれます。

② プロセスと不確実性

目的がはっきりしている場合は、最短で最速で到達できるよう利便性を追求するのが理にかなっています。一方、道中(プロセス)や偶然の出会い(セレンディピティ)のように、不確実性から価値が生まれるような場面では、不便であるほど満足度が高まるものです。

ファッションブランドの「ミナ ペルホネン」は、出店する際に駅近のような便利な場所をあえて選択しないそうです。顧客がお店に向かうプロセスでレジャー感覚を味わってもらうよう、あえて駅から遠い不便な場所に出店することもあるそうです。

総合ディスカウントストア・食品スーパーを展開するドン・キホーテも利便性より不便さを重視したスタイルを取っています。ドンキの店舗は、隙間なく商品が陳列され、通路が非常に狭く、買いたいものを探すのに苦労してしまう「不便な」空間です。

これにはお目当ての商品を探し出すまでのプロセスを楽しんでもらおうという意図があります。買い物プロセスの中で、買おうと思っていなかった商品に出会う宝探しのようなワクワク・ドキドキ感を楽しんでほしいという狙いです。不確実性はネガティブな意味で用いられることが多い言葉ですが、ドンキの場合はワクワク・ドキドキ感を作り出す装置として機能しています。

リアルな書店もワクワク感が得られる空間です。欲しい本が事前に決まっているならアマゾンで買うのが最適です。しかし、「過去に読んだことのないような本に出会いたい」というときは、あえて書店まで足を運ぶ人も多いようです。音楽や雑貨と書籍を組み合わせるなど、最近は個性的な本屋さんも目立つようになりました。ワクワクする読書体験という不便益を享受したい人が増えている証左ではないでしょうか。

③ 「記憶」に残る

不便さの価値、3つめの要素は「記憶」です。

研究によると、記憶は「身体的な負荷」と密接に関係しているといわれます。便利なほど身体的な負荷はかかりませんが、その分「記憶に残りにくい」ということです。たしかにネットでささっと調べたことは次の日には忘れているケースがほとんどです。

私がまだギター少年だった頃、好きなギタリストのプレイをコピーするときは、レコードが擦り切れるほど何度も聞きながら一音一音たどったものです。すると不思議なもので、そのギタリストがどんな気持ちでそのフレーズを紡ぎだしたのか、素人ながらわかった気がする瞬間があります。一度時間をかけて覚えたフレーズは体に刷り込まれているので何年経っても忘れないものです。

今はググったりタグったりすれば、簡単に覚えたいフレーズが動画付きで手に入ります。しかし動画で得られるものは、耳で一音一音必死にたどったものには到底及びません。

不便な場所に出店するミナのケースも、お客様にその服を買ったときの場所や時間という記憶が残るよう、あえて負荷のかかる不便な場所を選んでいるようです。不便さと記憶はそれだけ密接に関係しています。

不便さを楽しむには「心の余裕」が必要

便利さだけではどこか味気なく、物足りさを感じてしまう。人はなんとも贅沢な生き物です。私たちは日々の生活の中で、「便利さ」と「不便益」をどのように使い分ければよいのでしょう。

人はシチュエーションによって様々な顔をみせます。これを個人の中の「分人」と表現する人もいます。仕事で忙しい平日はなるべく便利なものを求めますし、時間に余裕のある休日はあえて不便な場所に遠出したり普段は聞かない音楽を聴いたりするものです。評論家・思想家の西部邁氏は、精神の奥深さは、シチュエーションに応じて不便さや手間を受け入れることから生まれると説いています。

人間精神のサトゥルティ(繊細さ)は、芸術作品や社交生活の在り様を深く洞察すればすぐわかるように、TPO(時と所と場所)に応じて微妙に変化させるべきものである。そうした人間の精神と活動の繊細さは便利性のみによって形づくられるものではない。

西部邁「保守の神髄」

生活の中に便利さと不便さのバランスを取り入れるにはある条件が必要です。それは「心の余裕」です。心に余裕がないと、私たちは不便さを楽しむことすらできないからです。

コロナ禍で素材から調理することの楽しさを知った人も多いようです。しかし最近は手軽に作れる時短料理や惣菜のニーズが高まっており、「調理疲れ」のような現象もみられるようです。調理がもたらす楽しさ(不便益)に気付いた人も、時間が経つにつれて再び便利な世界に戻ったということです。

はじめは自宅にいる時間が新鮮で調理や家族との会話を楽しんでいたのが、コロナ禍が長期化するにつれて仕事や将来のことなど不安要素が大きくなる。結果、調理を楽しむ「心の余裕」すらもてなくなってしまう。心の余裕が持てなくなると、不便さは「楽しみ」どころか「手間がかかる」「面倒だ」というネガティブな意識に成り下がってしまうのです。

企業は安易に利便性の波に乗らない

企業は、便利さと不便さにどのように向き合うべきなのでしょう。企業では利便性の追求は「正解」だと信じられています。しかし安易にその波に乗ることは、企業にとっても自らの成長を妨げるリスクをはらんでいます。

社会の分断

心に余裕がなくなると、私たちは「不便さ」や「自分と違うもの」を許容できなくなります。これはネットの世界でいうと「見たいものしか見ない」フィルターバブルの影響を受けやすくなるということです。自分とは価値観の違う人を受け入れられなくなり、結果として社会の分断化が進行していきます。

短期志向の罠

見たいものしか見ないのは、時間割引率が高い状態です。つまり将来より目先のことを重視する行動を意味します。

【時間割引率とは】

  • 目先の利益と将来の利益が一致する割引率のこと
  • 将来より目先のことを重視すれ時間割引率は高くなる
  • 目先より将来を重視すれば時間割引率は低くなる

企業経営者も景気が悪化すると心に余裕がなくなり、時間割引率が高くなる傾向にあるようです。バブル崩壊後に企業の多くは生産性を高めるよう株主から圧力を受けました。リストラや非正規雇用が増え、経営はより短期志向になっていきます。短期志向の経営からは、iPhoneのような破壊的イノベーションは生まれません。

企業は安易に便利さに走らず、不便さを利益の源泉とするような姿勢が必要ではないでしょうか。

【追記】「思考」と「不便益」の深い関係

先日ある本を読んでいてこんな風な思いに至りました。

「思考」は「不便益」へとつながっている

その本とはゲノム解析のベンチャー企業を経営されている高橋祥子さんの著書「生命科学的思考」です。同書では「思考」についてこのように書かれています。

思考を停止することは生物のエネルギー効率を考えれば効率的でもあります。ただし、思考を止めてしまうことで自分の行きたい方向に行けないという環境であれば、エネルギー効率を高めるという生物の基本的な性質に意図的に抗ってでも、思考をする必要があります

高橋祥子「ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考」

つまり生物学的には人間はあまり思考しないほうがエネルギー効率がよい。しかしそれだけでは良い状態に変化できないこともあるので、あえて思考する必要があるということです。

著者はまた「人間は、主観的な意志(自由意思)を持つ数少ない生物です」とも語っており、エネルギー効率を犠牲にしてまで思考するのが人間の特徴と主張しています。

これを便利さと不便さの概念に当てはめるとしっくりきます。売れ筋が常に棚に置かれ迷わず買い物できるコンビニはエネルギー効率がよい空間の一つです。コンビニの店舗内であれこれ思いを巡らす人はいないでしょう。

しかし毎日コンビニで同じものを買っているだけでは新しい発見は生まれません。今まで行ったことのないお店に遠出して新しい商品・サービスと出会う。なぜここにこんな商品があるのかと思いを巡らせることで豊かな消費生活がもたらされます。

人間はエネルギー効率を犠牲にしてまで思考する生き物です。そこから生まれるギフトが不便益ということなのかもしれません。

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