物価は上がっても賃金は上がらない日本の事情-「高くても・売れる」へ

「値下げはうれしいけど、値上げはイヤ」

消費者としては当然の反応です。しかし「値上げでも収入は上がる」ならどうでしょう。値上げ分が収入(賃金)の増加となって戻ってくるなら誰も不満は言わないと思います。

消費者が値上げで不満を言うのは「物価が上がっても賃金が上がらない」からです。収入が上がらないのに物価だけ上がったら生活は苦しくなる一方です。

日本ではなぜこのようなことが起こるのでしょう。本記事では以下の点を中心に物価と賃金の関係について考えてみたいと思います。

  • 物価が上がっても賃金が上がらないのはなぜか
  • なぜ消費者は値上げに過剰反応するのか
  • 「高くても・売れる」にはどうすればいいのか

企業物価はオイルショック以来の上昇

まずは足元の物価の動きを点検します。物価はサプライチェーンの川下から川上へ波及していきます。現在、川の上流で起きているのはエネルギー・素材価格の高騰です。

  • 世界的なコンテナ不足による運送遅延と運賃高騰
  • 欧米・中国の旺盛な「リベンジ消費」

こうした理由から企業の仕入れコストが世界的に急騰しています。企業間で売買される物品の価格変動を示す企業物価指数をみると21年12月は前年同月比8.5%の上昇、輸入物価指数は同41.9%の上昇です。これはオイルショックの影響を受けた80年12月以来41年ぶりの水準です。

41年ぶりの上昇となった企業物価

企業物価指数・輸入物価指数の推移

物価が上がっても賃金が上がらない日本

サプライチェーンの川上でこれだけの価格高騰が起きている。となると、川下にいる企業は仕入れコストの上昇に悲鳴を上げているはずです。

それでも最終メーカーや小売企業の多くはコスト増を価格に転嫁するのをためらいます。理由は「客離れが怖い」からです。値上げをすると客が離れる、あるいは実際に客離れは起きてなくても値上げを嫌がっているに違いない、と感じているのです。

値上げで客離れが起こるのは「生活が苦しくなるから」です。当たり前と思われるかもしれませんが、海外ではよほどの値上げでないかぎり、購入を控えたり他店に流れたりすることはありません。物価と賃金の連動性が維持されているため、物価が上がっても賃金が上がることが知られているからです。

物価と賃金の関係性・循環性には、以下のように「賃金上昇」が起点となるケースと「物価上昇」が起点となるケースがあります。

  1. 「賃金上昇」が起点となるケース
    賃金上昇 ⇒ 消費増加 ⇒ 需給ひっ迫で物価上昇 ⇒ 売上増加 ⇒ 賃金上昇~
  2. 「物価上昇」が起点となるケース
    物価上昇 ⇒ 売上増加 ⇒ 賃金上昇 ⇒ 消費増加 ⇒ 物価上昇~

73・74年の石油ショックや今回のようなエネルギー・原材料価格が急騰するケースは2のケースに相当します。つまり物価上昇が起点となって賃金上昇が起こるパターンです。日本でもかつては物価上昇時に労働組合が賃上げを求め、物価上昇に対応した賃上げが実現していました。しかし近年の日本では物価と賃金の関係性が薄まり、物価が上がっても賃金は上昇しにくくなっています。

理由は2のメカニズムに異常が起きているためです。海外では物価が上昇しても消費者の購入量はそれほど変化しません。値上げ分が売上に乗っかってきますので、その分を賃金に回すことができます。しかし日本では値上げで買い控えや客離れが起こるため、売上が減少してしまうのです。売上減少で収益が低迷すると企業はコスト削減せざるを得なくなりますので「賃上げどころではない」となります。

「いいものを・やすく」から「高くても・売れる」へ

日本の物価と賃金の関係性の低下については様々な原因(労働組合の弱体化など)が指摘されています。なかでも私が本質的な問題だと感じるのが「いいものを・やすく」をベースとする日本企業のビジネスモデルです。

「いいものを・やすく」の限界

周知のように、戦後の日本は「追いつけ、追い越せ」精神のもと、先進国の工業製品のコピーを「より高品質に、より高性能で、より安く」つくることで高度成長の波に乗ることができました。こうした努力は品質管理とコスト管理ノウハウを高め、「より安くて大量の」商品投入を可能にしました。

こうした大量生産・大量消費型のビジネスモデルはコモディティ化によって限界を迎えることは明白でした。実際コピー可能なコモディティ製品の多くは中国などアジア諸国にシェアを奪われていきます。

ここまでは国や企業が発展する上で避けて通れない流れで驚く話ではありません。問題は次のステップに移行すべき時なのに相も変わらず「いいものを・やすく」にこだわり続けてしまったことです。次のステップとは「高くても・売れる」ビジネスモデルです。

  • 労働力人口の減少
  • 労働者の高齢化
  • 企業の社会保険負担の増加

こうした要因から、日本企業はすでに「いいものを・やすく」をやれる体ではなくなっています。それなのに派遣労働の導入や取引先への値下げ圧力など、さらに雑巾を絞ろうとした結果、様々な社会的・経済的な歪みが起きています。その一つが物価と賃金の断絶です。

「値下げ」でしか消費者を刺激できない

高くても売れる」に舵を切れないでいるうちに、日本企業は「値下げ」でしか消費者を刺激する手段を持てなくなっています。スーパーのチラシしかり、テレビショッピングのセールストークしかり、ひたすら「お得・お得」の大合唱です。

値下げはお得感で動く消費者の「損得スイッチ」を入れる有効な手段です。しかし消費者を振り向かせるスイッチは他にもあります。作り手の想いに共感したり、店員さんとの何気ない会話に動かされて商品を手に取る「情緒スイッチ」です。

損得スイッチと情緒スイッチのどちらのスイッチを押すかが企業の腕の見せ所なのですが、「いいものを・やすく」にこだわり続けるあまり、ほとんどの企業は損得スイッチしか押していません。そうなると消費者も、お店に入れば自動的に損得スイッチが入るようになり、セール品を追い求めるようになります。その姿を見た企業はますます損得スイッチしか目に入らなくなり、値下げ競争に走るようになるのです。自分で自分の首を締める悪循環です。

どうすれば「高くても・売れる」のか

  1. 「いいものを・やすく」へのこだわり
  2. 「値下げ」でしか消費者を刺激できない
  3. 「値上げ」で消費者は買い控えを起こす
  4. 「値上げ⇒売上減少」によって賃上げは困難

このように物価と賃金の関係が断絶した根っこは「いいものを・やすく」にあります。物価と賃金の断絶問題を解決するには「高くても・売れる」へ舵を切るしかありません。「高くても・売れる」企業になれば、値上げをしても消費者は買い控えしませんので、賃上げも可能になります。

ではどうすれば「高くても・売れる」企業に変わることができるのでしょう。ポイントは2つあります。

①消費者の「情緒スイッチ」を押す

一つ目のポイントは消費者の「情緒スイッチ」を押すことです。「いいものを・やすく」では損得スイッチを押すことが目的ですので企業はひたすら「お得感」をアピールしてきました。

一方の情緒スイッチは、お得感に頼らず、製品の持つストーリーに共感してもらうことが目的です。作り手がどんな思いでその製品を作っているのか、ときには失敗談も含めながら消費者と作り手のあいだをつなぐ。店員との何気ない会話で顧客にやすらぎを提供する。情緒的な空間やプロセスを共有することで消費者は価格よりストーリーに心を動かされて購入に至ります。損得スイッチと情緒スイッチの存在は以下のように身近に転がっています。

  • コンビニの100円コーヒー(損得スイッチ)と喫茶店で丁寧にいれる1000円コーヒー(情緒スイッチ)
  • ディスカウントストア(損得スイッチ)と地元の農産物が並ぶ道の駅(情緒スイッチ)
  • 牛丼チェーン店(損得スイッチ)とYouTubeで食材の魅力を伝える有名シェフのお店(情緒スイッチ)

情緒スイッチを押すということは「価値」に着目することを意味します。価値を数値化したのが「価格」です。消費者がこの製品の価値は高いと感じれば堂々と値上げすればよいのです。情緒スイッチを押された消費者は「価値」で製品を判断するので「高くても売れる」ようになるはずです。

②従業員は「価値」そのもの

2つめのポイントは従業員を生産要素としてではなく「価値そのもの」とみることです。

「いいものを・やすく」では従業員は生産要素(コスト)と見なされます。決められた製品を作るために従業員というコストが投入される。生産要素とは替えのきくものですので、安い賃金で働いてくれるアルバイトや派遣労働者への代替が進みます。

一方、「高くても・売れる」ビジネスの場合、従業員は「価値」そのものです。なぜなら従業員は生産要素のように替えのきく存在ではないからです。マニュアルを読むだけの従業員は「高くても・売れる」仕事では必要とされません。

「高くても・売れる」には消費者の情緒スイッチを押す必要があります。そこには作り手のストーリーを丁寧に伝える従業員が不可欠です。従業員自身も熱い想いを持っていなくてはいけません。ただ必ずしも高度な知識やスキルを持っている必要はありません。スナックのママのようにお客さんに楽しい空間を提供できればよいのです。それぞれのスタイルでお客さんの共感を引き出せれば問題ありません。

替えのきかない従業員がいなくなればその分「価値」が毀損され売上が減少します。その従業員がいなければ売上が達成できないのであれば、企業もその価値に見合った賃金を喜んで支払うでしょう。価値がベースにあれば価格と賃金はイコールになります。

「高くても・売れる」で消費者・企業・従業員をハッピーに

改めて「いいものを・やすく」と「高くても・売れる」を比較すると以下のように整理できます。

「いいものを・やすく」の悪循環
製品のコモディティ化が進む(人は生産要素)
②「値下げ」でしか消費者を刺激できなくなる(損得スイッチ)
③「値上げ」で買い控えが起こる(売上は減少)
④物価が上がると収益が低迷し賃金を上げることができない
⇒さらなるコスト削減と値下げの悪循環

「高くても・売れる」の好循環
価格より「価値」を重視(人は替えのきかない価値)
お得感ではなくストーリーで消費者を振り向かせる(情緒スイッチ)
「値上げ」でも買い控えは起こらない(売上は増加)
物価が上がると収益が増加し賃金を上げることが可能
三方良しの好循環(消費者よし・企業よし・従業員よし)

 

このように「高くても・売れる」に転換できれば、物価と賃金の関係性が復活します。そしてより重要なのは「皆がハッピーになる」という点です。賃上げによって従業員がハッピーになるのは当然ですが、賃金を支払う企業側もハッピーです。替えのきかない従業員が価値(売上)をもたらしてくれるからです。消費者もお得感ではなく「共感」によって商品を購入しますので、ある程度の値上げは喜んで受け入れるはずです。こうして「消費者よし・企業よし・従業員よし」の三方良しが実現します。

私はこの「皆がハッピーになる」という点は非常に大事だと考えています。資本主義の歴史は常に対立の構造でした。労働組合が生まれたのは企業と労働者の利害が対立していたからですし、値上げで暴動が起こるのは企業と消費者が対立しているからです。「新しい資本主義」を掲げる岸田政権ですが、企業に対して「賃上げ」を要求している時点ですでに三方良しになっていません。

政府や世の中に促されるように賃上げをするのではなく、

従業員が生み出す価値に報いるために喜んで賃上げをする

「いいものを・やすく」から「高くても・売れる」に転換できれば決して不可能ではないと思うのです。