「データ野球は感性を奪う」 -イチローの警告は現代社会への警告

イチローの警告

データとの向き合い方について、改めて考えさせられたことがありました。あるテレビ番組でイチローが放ったこんな言葉です。

「目で見える情報にインプットされてしまって、そうなのかと、ある意味で洗脳されてしまっている。でも選手の気持ち・メンタルのようなものはデータには反映されない。データでがんじがらめになって、感性が消えていくのが現代の野球──」情熱大陸(2024年12月22・23日放送)

今の選手はデータに巻き込まれて自分の頭で考えなくなっている。結果として選手にとってもっとも重要な「感性」が奪われている。イチローの危機感はデータ偏重となった今の野球に対するものです。

データ野球が求めるのは「データ通りに動く選手」です。メジャーリーグではデータに従わない選手は評価が減点されるようになったと言われています。

データ依存によって何が起きるのか。イチローは「野球が面白くなくなる」と語ります。見えるものしか評価されず、自分の頭で考えることを放棄した選手は、野球本来の楽しさを失ってしまうことを危惧しています。人は考えることで自由になり、そこから面白さを見出します。自由を奪われた選手が野球を楽しめなくなるのは当然です。

観客も同じです。データ野球では、場面ごと打席ごとに最適な方法がシミュレートされ、その度に選手交代が必要になります。「次の選手、今日は不調だけど、この場面なら打ってくれるはず」と期待していたところに選手交代──。観客も自由を奪われて試合を楽しめなくなるのです。

データで感性を失う脳の仕組み

意識の前に無意識が動く

「データで感性が失われる」「野球が面白くなくなる」──この感覚はどのようなメカニズムで起こるのでしょう。

脳科学ではよく「人間に自由意志は存在しない」と言います。人間の行動は脳が先に決定を下しており、我々はそれをあたかも「自分の意志で行ったかのように」意識するのだということです。意識する前に無意識が行動を決めているわけです。

「データによって考えなくなる」は、こうした脳の仕組みを考えれば自然なことです。データは目的と相性がよい。データと目的が一致すれば、人は考える余地なく無意識に行動してしまうわけです。エサを与える前にベルを鳴らす行為を繰り返すことで、ベルの音を聞いただけで唾液を出すようになるパブロフの犬のようです。パブロフの犬の脳内に感性の出る幕はありません。

意識無意識化すると面白くなる

次に「データで野球が面白くなくなる」という感覚はなぜ生まれるのかという点です。ヒントは「先に無意識が決めた行動なのに、なぜ自分の意志で行ったように感じるのか」にあります。

イチローは現役を引退した今でも毎朝のトレーニングを欠かさないと言います。決まったメニューを単純に繰り返すのではなく、常に自分の身体と対話しながらトレーニングを積み重ねる──。「思考×行動」の繰り返しがイチローにとってのルーティンです。

思考×行動の繰り返しで脳内で起こるのが「意識の無意識化」です。思考×行動は意識による行動です。それを日々積み重ねることで意識が無意識となって脳内に記憶される。結果、自然と身体が動いて打ったヒットが「自分の意志で行った感覚」として意識に上るのです。意識の無意識化をスキップさせるデータ野球では「自分の意志で行った感覚」は得られないのはこのためです。

脳科学者の毛内拡氏は、脳の仕組みを「五感で得たデータ」と「知恵ブクロ記憶」で説明しています。「五感で得たデータ」が脳内の「知恵ブクロ記憶」に入り、知恵ブクロ記憶が引きだされることによって、その人らしい行動が生まれるというものです。イチローは膨大な「思考×行動」データを知恵ブクロ記憶に取り入れているため、イチローらしいすばらしいプレイを生み出すことができるのでしょう。

イチローの警告は現代社会への警告

データによって感性が失われ、見えてるものしか信じられなくなる──。私がイチローの言葉にハッとしたのは、それがまるで現代社会の問題を言い当てているように聞こえたからです。現代社会はデータ(情報)で溢れています。その影響はデータ野球に振り回される野球選手以上かもしれません。

その典型が今の消費者です。消費者もまたパブロフの犬のように無意識な反応を繰り返しています。スマホを開くと、過去の購入データをもとに分析・抽出されたあなた好みの商品がずらりと並ぶ。コスパ・タイパを重視する消費者は何も考えずに購入ボタンを押す。なんと便利なことか。しかしその便利さに反して消費から得られる満足度はすぐに低下し、次のおススメ商品に目移りします。満足感が得られないのは、データに従う野球選手同様「自分の意志で行った感覚がない」からです。自由意志はなく感性が失われているのです。

地域社会も感性を失っています。感性は「自然」によって磨かれます。かつて地方の人々は自然の中に八百万の神の存在を感じ取り、自然と一体となることで感性を培ってきました。しかし近年、神社の数が急減していることからも明らかなように、地方の人々の心は自然から離れています。スマホに夢中になり、近所の人とすれ違っても挨拶もできない人が増えています。

企業社会も同様です。顧客とのコミュニケーションはオンラインが中心で、直接会って話をする機会は減っています。直接会っても相手の目を見ず、手元のパソコン画面をみながら話をする営業マンを多く見かけます。医師も同じです。かつて町医者は顔色をみて患者の状態を判断していましたが、今のお医者さんは患者の顔よりカルテをみる時間が多いと感じます。

現代人が感性を取り戻すには

消費者も地域も企業も感性を失っています。自由意志を感じられず、常に何かに縛られているような感覚となり、孤独感や虚無感を強めています。「野球が面白くなくなっている」とのイチローの危惧は、現代人が抱える問題と重なっているのは明らかです。現代人が感性を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。

データと距離を置く

データに罪はありません。問題は現代のデータがあまりに膨大で加速的なため、データと人間の関係性、主従が逆転していることにあります。「データ>人間」から「データ<人間」に変えるには、意識的にデータとの距離感を維持する必要があります。

デジタルデトックスのように、データが支配するツールから一時的に離れることが必要です。スマホの電源を切って近所を散歩するだけで、周りの景色が以前と違って見えるはずです。近所の人とすれ違って挨拶する機会も増えるでしょう。

「思考×行動」を繰り返す

イチローの行動を見習うことも有効です。イチローが毎日行う「思考×行動」によるトレーニングを自分の行動に適用してみるのです。

私の場合は紙とペンを使うことです。まずはパソコンやスマホの電源を切ることでデータの渦から逃れ、ペンを手に取って自分の考えを紙に書き写します。こうするだけで、パソコンで仕事をするときとはまったく異なる「自分の意志で行っている」感覚が得られます。おそらく紙にものを書くという行為が、自分の意志(意識)と身体(無意識)をうまく接続するのだと思います。

アートに接する

アート(芸術)に触れることも有効です。アートにはその場にとどまらせる力があります。ネット社会という高速道路を降りてパーキングエリアに入るようなイメージです。

最近は地方でアートを取り入れる機運が高まっています。「アートには、地域の文化や歴史・風土を反映するものとして、失われつつある地域のアイデンティティを強化する力があるのでは?」──。若い人中心にこうした気付きを得る人が地方で増えつつあるようです。

まとめ

意識より無意識が先に立つという脳の構造上、膨大なデータに囲まれる現代人がデータに縛られるのは自然の帰結といえます。そこにイチローの危機感があります。このまま黙ってるとえらいことになりそうだ、と。

データに縛られる人生などだれも望んでいません。イチローが高校生への指導や草野球に熱心に取り組んでいるように、私たちもデータがもたらす自然の力に抗うべく一歩踏み出す必要があるのではないでしょうか。

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