ネット疲れ

ネットが睡眠と運動の時間を奪う-「人間らしさ」をいかに取り戻すか

25人に1人が不安障害を抱える時代

世界保健機関(WHO)によると、世界でうつ病に苦しむ人が2015年に推計3億2200万人に上ったそうです。日本は約506万人(うつ病診断された人以外含む)と推計されています。506万人は日本の人口の約4%に相当しますので、「25人に1人」がうつ病などの不安障害を抱えている計算になります。25人と言えば、町中を少し歩けば数分ですれ違う人数です。

インターネットが不安障害の一因となっているのはほぼ間違いないと言ってよいでしょう。不安障害の急激な増加はインターネットの普及とちょうど重なります。ネットが私たちの身体機能と精神機能にどのような影響を及ぼしているのか、データをみながら確認したいと思います。

増え続けるネットの利用時間

印刷、鉄道、自動車、電話、テレビ等々、近代技術は我々のライフスタイルを大きく変えてきました。しかしインターネットがもたらす影響の大きさは、過去のどの近代技術と比較しても次元が異なります。

ネットの影響の大きさは利用時間をみれば明白です。ネットの利用時間は2012年では1日30分程度でしたが、2021年には約3時間と約10年で5倍近く伸びています。ネットの利用時間の長さは若年世代で特に顕著で、20代のネット利用時間は約5時間に達しています。ここ数年は中高年世代のネット利用も急増加しており、50代・60代のネット利用時間は10年で8倍以上拡大しています。ネット利用の増加は全世代共通の現象です。

1日当たりネット利用時間の推移(年齢別)

1日当たりネット利用時間の推移(年齢別)
(出所)「令和4年版 情報通信白書」(総務省)

睡眠・食事・運動が減る

ネットの利用時間の増加は、生理的に必要とされる睡眠や食事にも大きな影響を及ぼしています。社会生活基本調査(総務省)によると、スマホ・パソコンを使用した人は、使用しなかった人よりも、睡眠時間は8%減少、食事時間は12%減少しているのがわかります(下表)。この傾向はスマホ・パソコンの利用時間が長いほど顕著です。スマホ・パソコンの使用が6時間を超えた場合、睡眠時間は13%減少、食事時間は26%減少と減少率が大きくなっています。

ネットの利用増加は「運動」にも大きな影響を及ぼしています。スマホ・パソコンを使用した人は使用しない人より運動時間が22%も減少しています。

スマホ・PCの利用別「睡眠・運動・食事」時間

睡眠運動食事
①スマホ・PCを使用しなかった511分(8.5時間)23分120分
②スマホ・PCを使用した469分(7.8時間)18分106分
変化率(②/①)▲8.2%▲21.7%▲11.7%
(出所)「令和3年 社会生活基本調査」(総務省)

ネット利用が心身機能に与える影響

ネットの利用で生じる睡眠・食事・運動の減少は、私たちの身体機能に様々な障害をもたらしています。

マルチタスクで集中力・思考力が低下する

一つめが集中力と思考力の低下です。筆者を含め、スマホを利用するようになって集中力が落ちたと感じている人は多いようです。

集中力と思考力を低下させているのが複数のことを同時に行うマルチタスクです。ベストセラーとなった「スマホ脳」の著者アンデシュ・ハンセンによると、スマホを手に取ると脳内の報酬物質であるドーパミンが放出されることがわかっています。歩きスマホ、テレビをみながらスマホ、会議中にスマホでメールといった「ながらスマホ」は一種の生理現象とみなせます。

しかし肝心の脳はそもそも同時に複数の作業をこなすようにはできていません。脳がAのタスクからBのタスクにスイッチを切り替えようとしている間に、スマホのアプリはAもBも同時処理してしまう。であれば、自分(脳)は無理して苦手なマルチタスクに労力を割く必要はない。脳がこのように判断するのも無理ありません。

こうしてスマホによるマルチタスクは私たちの集中力と思考力を奪っていきます。集中力と思考力はデジタル社会で最も必要とされるものなのに、そのデジタル社会によって奪われるという自己矛盾が起きているのです。

過剰接続でストレスに弱くなる

ネットが身体機能にもたらすもう一つの障害は「ストレスに弱くなる」ことです。睡眠不足になると、ストレス対応に必要なコルチゾールというホルモンの分泌が少なくなり、ストレスの影響を受けやすくなることがわかっています。

現代社会のストレスを象徴するのがネット社会の「過剰接続」です。SNSで世界中の人々と瞬時につながることができる時代に、つながればつながるほど孤独感を強める人が増えています。過剰接続がもたらすストレスは特に若い世代で顕著です。自分と同年代の人がインフルエンサーとして大活躍している様子を見て気分が落ち込む、いわゆる「リア充」問題です。精神疾患の受療率をみると、0~9歳は過去10年で3.6倍、10代で2倍に急増しています。精神疾患の受療率は2010年頃から急増しており、スマホからネットにアクセスできるようになった時期と重なります。

「精神疾患」受療率の推移(年齢別)

「精神疾患」受療率の推移(年齢別)
(出所)「患者調査」(厚生労働省)

人間が良好な関係を築けるのは150人まで(ダンバー数)と言われます。SNSのタイムラインにはフォローしている人以外の投稿も流れてくるため、ダンバー数を超える人々と常につながっていることになります。良好な人間関係など築けるわけがないのです。

見たいものしか見なくなる

ストレスの増加は人々の視野を狭くします。気に障る投稿はブロックされ、タイムラインは自分が心地よいものに色付けされます(フィルターバブル現象)。見たいものしか見ない、自分の属している環境の外側は無関心となることで、ネット社会では軋轢と対立が起こりやすくなります(エコーチェンバー現象)。

フィルターバブルの中で育った正義感に燃えた独善者が登場するようになり、思考力の低下した人々は彼らのワンフレーズに飛びつき、それを絶対善だと信じ込んでしまう。あとはひたすら相手陣を打ち負かすこと、否定することに全力でエネルギーを注入する。こうしてネット空間に流れる多様な意見は決して交わることがなく、社会が殺伐化していきます。

④身体性が欠如する

ネット利用の増加による身体機能への影響。最後は身体性の欠如です。

  • 友人とZoomで飲み会
  • VRゴーグルで世界旅行
  • Uber Eatesで有名店の料理をデリバリー

これらのタイパ・コスパな活動には生身の人間や自然との接触がほとんどありません。Zoom飲み会では相手のグラスと自分のグラスを合わせて音を鳴らすことはできません。VR旅行では行きたい国に一足飛びに行けますが、現地の人と握手したり、自然に直接触れたりすることはできません。そして何より旅の最大の楽しみである「道中」がばっさり切り捨てられます。道中では様々なハプニングが起きたりする。だからこそ思い出として記憶に残るのですが、家で椅子に座ったまま目的地に行っただけでは記憶に残る旅にはならないでしょう。

身体性の欠如とは、すなわち運動不足です。先に見たようにネットを利用するほど運動不足になるという結果が出ています。運動は身体機能の向上を促す作用があるほか、集中力を高め、ストレスを軽減する効果があります。ネット利用による運動不足は、記憶に残るような楽しみを奪い、身体機能を低下させているのです。

「人間らしさ」を取り戻すには

ネットは私たちに多くの恩恵を与えてくれたのは事実です。しかしこれまでみたように、身体面・精神面に関してはマイナス面が多い印象を持たざるを得ません。25人に1人が精神を病み、SNS上では誰かを吊し上げては溜飲をさげる日々が繰り返される。

そろそろこのあたりで何か手を打たないと取り返しがつかなくなる。こうした雰囲気が強まっているのも確かです。最近はリトリート(退避・退却)という言葉をあちこちで聞くようになりました。タイパ・コスパでひたすら利便性を追求するのではなく、もう片方の人肌的で情緒的な「人間らしさ」を取り戻す必要があるのだと思います。

とはいえ、今の加速的なネット社会で人間らしさを取り戻すのはそう簡単ではありません。単純に先祖返りするのでは懐古主義の域を出ません。ネット社会で人間らしさを取り戻すには、インターネットという装置の使い方を見直すことが重要です。一言でいうと「人間的なものを際立たせるサービス」を目指すことです。AからBにショートカットで行く目的型サービスではなく、AとBの間をゆっくり楽しむような不便益を提供するプロセス型サービスです。すさんでいく社会を人間的なテックが浄化していく光景をみたいと思います。