コロナ禍で動ける企業と動けない企業
年々大きくなる「不確実性」
2019年12月に中国の武漢で発生した新型コロナウイルスの感染拡大は我々が過去経験したことのないパンデミック危機に発展しています。リスク心理学では人々が感じるリスクの大きさを「未知性」と「恐ろしさ」の2つの因子で測りますが、その両方を満たすのが感染症や放射能といった目に見えないリスクです。
確率的に予測できない事象のことを「不確実性」と呼びます。今回の新型コロナウイルスをはじめ、地震や台風などの自然災害、テロ行為、金融市場の混乱など、過去経験したことのない不確実性がいつしか毎年のように私たちの前に出現するようになりました。しかも不確実性の大きさは年々大きくなっているように思えます。
コロナ禍の企業対応に明暗
今の企業は不確実性が毎年のように現れる時代を生きなければなりません。3.11や今回のコロナ禍を受け、経営者の多くは否が応でもこの事実を認識せざるを得ないと感じたのではないでしょうか。
では企業は今回のコロナ禍をどう受け止め、どのように動いたのでしょう。
私が見る限り、企業や店舗の対応は2つのパターンに分かれます。需要蒸発ともいえる惨状になす術もなく立ちすくむ企業と、事態を冷静に受け止め今できることに集中して手を打とうとする企業です。
コロナ禍で一番厳しい業界は観光と飲食です。観光業界でいち早く現状を把握し行動に移しているのが星野リゾート社長の星野氏です。星野氏は蒸発状態のインバウンド市場を冷静に見つめ、近場の旅(マイクロツーリズム)を提唱すると同時に館内の感染対策を徹底させました。
飲食業界では現状を嘆く多くの飲食店を横目に、早くからテイクアウト・サービスを導入し、SNSで情報発信しながら応援消費を呼び起こしている店舗も見られます。
イチローから学ぶ
コロナ禍に対する企業や店舗の対応の違いや温度差はどこからくるのでしょう。
私は日々様々な不確実性と対峙しているアスリートの行動の中にヒントが隠されていると感じています。中でも日米通算4367安打を放ち2019年3月に現役を引退した「イチロー」は不確実性の達人であり、その行動原理から多くを学ぶことができます。
ここからは、イチローの名言とともに不確実性への向き合い方について考えてみたいと思います。
事実を事実として受け止める
不確実性が発生したときの人間の反応経路は、
①感じる(感覚)
②対象を理解する(知覚)
③経験や情報をつなぎあわせて全体を理解する(認知)
④判断する(判断)
⑤行動する(実行)
となります。この中で特に重要なのが①~③の上流プロセスです。
こういうときこそ、受け止めなくてはいけません。
野球を投げ出してしまうことは、絶対にしてはいけません。
出典 「夢をつかむイチローの262のメッセージ」
これは2003年9月、無安打に終わった日のイチローの言葉です。野球には良いことも悪いことも起こる。自分ではコントロールできないことが起こっても、運がいいとか悪いとか言っても始まらない。事実を事実として受け止め、自分自身の力でそれを乗り越えるしかない。このような境地を語っている言葉です。
無安打という事実に対するイチローの感覚と知覚は、事実を事実として受け止めること。私がイチローの立場なら、困った、悔しいといった感情が先立つと思います。
イチローの事実を事実として受け止める感覚と知覚は、コロナ禍に対する星野氏の受け止め方からも感じ取れます。星野氏のテレビや配信動画の発言をみると、コロナ禍という未曽有の危機が自社を直撃しているというのに、まるでコメンテーターのように極めて冷静にコロナ禍の影響を説明する姿が印象的です。
逆境を楽しむ
コロナ禍という未曽有の危機を事実として受け止めた後は、自身の経験や情報をつなぎあわせながら全体を深く理解する「認知」プロセスに入ります。
自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会ったときに
「お、自分はまだまだいける」と思います。
出典 「夢をつかむイチロー262のメッセージ」
2004年1月にファンを前に語ったイチローの言葉です。逆境を楽しもうとする彼の姿勢が強く感じ取れます。
結果が出ないときほど自分との対話が深くなり、より真理に迫ることができる。進化は逆境のときに訪れる。「逆境を見事に克服することこそ人生の快感である」と考え、今できることに全力を傾ける。楽観的とは違う、自身の経験や情報に基づいた合理的な認知プロセスのように感じます。
そうはいってもコロナ禍で倒産するかもしれないという事態に「楽しむ」なんてことができるものでしょうか。
世界中でレストラン事業を展開する「ウルフギャング・パック」はコロナ禍で休業を強いられましたが、魅力あるテイクアウト・サービスで苦境を乗り越えようとしています。
同店のテイクアウト・サービスの考え方は「アドベンチャーを提供する」です。シェフと店長が自由に楽しみながらメニューを考えているうちに魅力あるテイクアウト・サービスが生まれてきたと聞きます。苦境の中でも楽しむ姿勢を忘れずに行動し続けることが進化につながる好例です。
凡打を積み重ねる
危機に対するイチローや星野氏の行動に対し、事実をそのまま受け入れ逆境を楽しむことなどできるわけがないという突っ込みがきそうです。
その突っ込みは正しいです。普段していないことを危機のときにあわててしようとしてもできるわけがないからです。
「普段からすべきこと」はイチローのこの言葉に象徴されます。
ここまでヒットを重ねるには、それよりはるかに多い数の凡打を重ねなくてはいけない。
出典 児玉道雄「イチロー思考」
これは2004年5月、日米通算2000本安打を記録したときのイチローの発言です。目標を達成すること以上に大切なのが、そこに至るまでに全力を尽くしたかどうかということ。結果よりプロセスの中で全力を尽くすことを大事にしたイチローらしい言葉です。
イチローはさらにこのような発言もしています。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。
出典 「夢をつかむイチロー262のメッセージ」
イチローはたまたまバットを出したらヒットになったというバッティングは認めないそうです。しっかり考え込んだうえで出したヒットでないと認めない。
逆にいうと、一見無駄に見えるバッティングでも、しっかり考え抜いた上のバッティングであれば無駄にはならないどころか進化につながる可能性もあるという考えです。絶え間ない試行錯誤(試行回数)が最終的に結果(平均値)に反映するという意味である種の「確率思考」ともとれます。
星野氏も日頃からあらゆるケースを想定しながら観光産業の未来像を描いていたのだと思います。そしてそれぞれのケースに沿って自社がどのような影響を受けるのか、その場合に取りうる戦略は何なのかなど、試行錯誤を重ねていたはずです。
星野氏にとってコロナ禍は日頃の試行錯誤の中の延長線上に捉えられる事象だったのかもしれません。だからこそ、コロナ禍の受け止め方もあれだけ冷静に分析できているのだと推察できます。
経営者だからそのくらい考えるのが当然という指摘もあるでしょうが、どれだけの経営者が日頃から真剣に試行錯誤を繰り返しているでしょうか。もし普段からイチローのように試行錯誤をしていれば、コロナ禍になってもあわてずにテレワークに移行しているはずです。
イチロー型企業と一般企業の差
イチローや星野氏の不確実性に対する向き合い方は下の図のように表すことができるでしょう。
不確実性に対するイチロー型企業と一般企業の差
図の下側は不確実性を表しています。コロナ禍やリーマンショックは甚大な損失をもたらす不確実性になります。その不確実性に対する向き合い方、対応力を示したのが真ん中の分布です。その対応の結果が一番上のアウトプットの分布となって表れます。イチローの場合は通算打率、星野氏は自社の企業価値となるでしょう。
星野氏は普段から様々な事象を想定しながら試行錯誤を繰り替えしているため、コロナ禍のような大きな不確実性に見舞われても事実をそのまま受け入れ逆境を楽しむことができます。図の真ん中の対応範囲の広さがそれを示しています。結果として企業価値の低下は最小限に抑えられ、次の一手につなげる余力も確保できます。
一方、試行錯誤をあまりしてこなかった企業は打てる球しか打てない状態になっているため、真ん中の不確実性に対する対応範囲が狭くなっています。コロナ禍のような大きな不確実性は想定していないため、事実を受け入れられず、思考停止のまま被害を真正面から受けてしまいます。
ここで一つ忘れてはいけないのは、不確実性は損失だけではないということです。確率的に予測できないような「幸運」も不確実性の一つです。
イチローや星野氏はその幸運を「待ってました!」とばかりに最大化しようとします。一方、普段から試行錯誤していない企業はこの幸運も想定外であるため、自力でさらなるプラス方向にもっていくことができません。もったいないとしかいいようがありません。
不確実性への対応力がアフターコロナで顕在化する
イチローや星野氏のように、不確実性に対する対応力が強い人は不確実性が去ったあとに進化を遂げます。まさに逆境をバネにするわけです。
下の図にあるように、不確実性が去った後は4つの状態に分かれます。
コロナ前とコロナ禍のサービスに対する顧客の印象
1つ目は以前と同じ状態に戻る「復旧・回帰」です。一般的に台風や洪水など自然災害を受けた企業が目指す状態です。企業のBCP(事業継続計画)も基本的に復旧を目指すことを前提に設計されています。
2つ目は「代替・上書き」」です。コロナ禍で多くの飲食店はネットサービスやテイクアウトに切り替えましたが、感染が収束した後もかつてのリアル店舗のサービスには戻らず、そのままネットサービスで事業を続けていく状態を指します。
3つ目は「進化・創造」です。コロナ禍で取り組んだSNSを通じたネットサービスで顧客との信頼関係が生まれ、収束後は直接店舗に行って店員と話したいと思う顧客が増えていると聞きます。この場合、ネットサービスとリアルサービスは補完関係にあり、収束後も両方のサービスが共存しながら顧客ニーズを満たしていきます。コロナ禍を経て新たなビジネスモデルが「進化・創造」されたわけです。
4つ目は「消滅」です。コロナ禍の前から顧客離れが起きており、コロナ禍で行ったテイクアウトも場当たり的な対応で取り組んだようなケースです。コロナ収束後に問題はより深刻になっているため、復旧さえできず消滅しか道が残されていません。
不確実性に対するイチローや星野氏の対応は、4つの状態の中の「進化・創造」につながります。
いま、多くの企業は復旧を目指すのに手一杯かもしれません。しかし今回のコロナ禍は人々の生活様式を大きく変えています。以前と同じ商品・サービスでは通用しなくなる可能性も十分ありえます。
進化はピンチのときに訪れます。イチローのように事実を事実として受け止め、次の一歩をどう踏み出すべきか、企業はしっかり考え抜くときにきています。コロナ禍は飛躍の前触れかもしれないからです。