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推し活が「推し活依存」に変わるとき - 「オタク」から学ぶ依存脱却のヒント

深刻化する推し活依存

推し活トラブルが急増

近年大きな盛り上がりをみせている「推し活」。2021年にはユーキャン新語・流行語大賞に「推し活」がノミネートされ、自分の「推し」を公言する人も増えました。3人に1人は推しがいるといわれ、市場規模は3兆円を超えると推定されています。

その一方、ここ数年で急速に増えているのが「推し活依存」の問題です。推し活依存とは、推し活に生活が支配され、他の活動や人間関係に悪影響が出る状態です。推しへの投げ銭が止められず生活破綻する人、推し活費用を捻出するために闇バイトに手を出す人、著名人の名前を利用して偽の投資話に誘導するSNS型投資詐欺に遭う人──。推し活で金銭トラブルや詐欺被害に発展するケースが年々増えています。

高い依存性

博報堂の調査によると、推し活を行っている人は可処分所得の4割弱を推し活に充てています(下図)。生活に支障が出ているのに、自分の意思ではコントロールできなくなってしまう状態を依存といいます。所得の半分近くを基礎的支出以外に費やす推し活は依存性が高い活動と言えます。

2021年に芥川賞を受賞した小説「推し、燃ゆ」は、推し活依存となった主人公の姿を生々しく描いています。生きづらさを抱える主人公は、推しの存在を自分の生活や生そのものを支える「背骨」と表現します。自分と向き合うことができず「推し」に人生を委ねている状態です。推しの引退を受け、主人公は最後に「あたしから、背骨を奪わないでくれ」と絶望を吐露します。推し活依存の末路は悲劇しかありません。

可処分所得に占める「推し活支出」の割合

可処分所得に占める推し活支出の割合
(出所)博報堂・SIGNING「OSHINOMICS Report」

推し活を推し活依存に変える「承認欲求」

推し活それ自体は否定されるべきものではありません。私自身、推しのアーティストのライブには仲間を誘って行くようにしています。推し活は心の支えや楽しみを増やして人生をより豊かにしてくれる活動です。問題は推し活が趣味の範疇を超えて、仕事や人間関係にまで支障をきたすリスクを持っていることです。

では推し活が「推し活依存」に変わるとき、そこに何が起きているのでしょう。推し活依存になるのは「それほど推しのことが好きなんでしょう」──こう思われる人も多いかもしれません。しかし実際には「好き」から離れることで依存状態になることが多いようです。

原因は「承認欲求」です。「リスナーの間でも順位があり、いっぱい投げれば上位になったり、ハンドルネームを連呼してもらったりして、それが生きがいになった」──。投げ銭がやめられず、自殺をしようと自宅に火を放った事件当事者の供述です(2021年の事件)。ここでは「好き」という純粋な感情が、承認欲求を満たすための応援行為にすり替わっています。「推しと自分」の関係性から「他者と自己」の関係性に関心が移っているのです。ハマりすぎではなく「承認欲求に振り回されている」──これが推し活依存の実態です。

「オタク」は推し活依存にならない?

では推し活依存の状態から脱け出すにはどうすればいいのか。意外に思われるかもしれませんが、ヒントは「オタク」の行動にあります。

オタクを突き動かしているのは純粋な「好き」の感情です。家にこもって「好き」な対象に没頭したい。自分の「好き」は人に教えたくない──。オタクと聞いて想起するのはこのような陰キャラなイメージではないでしょうか。もっとも、最近は推し活に熱心なオタクも増えているようです。一人で楽しむのではなく他のだれかと「好き」を共有したい陽キャラ・オタクです。

ここで重要な点は、陰キャラ・オタクも陽キャラ・オタクも「好き」に対する熱量が半端なく大きいことです。下の図にあるように、両者の違いは「好き」の行動が内側に向くか外側に向くか、それだけです。カントは、何かの目的のためでなく「ただ味わうこと」で目的から自由な状態を「享受の快(Genuss)」と呼びました。享受の快に浸っている人はただひたすら「好き」に没頭して心が満たされているため、何かに依存しようとはしません。オタクは推し活依存にはならないのです。

では「好き」の感情がなくなったオタクはどうなるのか。瞬間、オタクはオタクでなくなります。享受の快は消え、没頭する対象がなくなって孤独感に襲われます。推し活をするオタクは孤独感を癒すため、自己の存在価値を確かめるため、「推し」を「推す」ことでなんとか承認欲求を満たそうとする──推し活依存の状態です。

「オタク」と「推し活依存」の違い

「オタク」と「推し活依存」の違い

推し活依存を防ぐには

推し活依存による被害を少しでも防ぐには「本人ができること」「社会ができること」の両面から取り組む必要があります。

「オタク」を見習う

本人ができることは「オタクを見習うこと」、これに尽きます。「好き」という感情に忠実になる。それは自己(主観)も他者(客観)もない世界に没入することです。西田幾多郎はこのような主客未分の状態を「純粋経験」と呼び、すべての真実はここから生まれると主張しました。

私には元ファンドマネージャーの知人がいますが、寝ても覚めても投資のことを考えている姿はオタクそのものです。その彼にも「推し」のファンドマネージャーやストラテジストがいますが、推しの投資判断に盲目的に従うことはありません。自分ならこうするという判断があり、「推し」の判断と比較してニンマリしたり驚嘆したりするのです。好きに没頭する金融オタクが投資詐欺のような目に遭うことはまずありません。

「承認欲求」を煽らない

推し活依存は企業や社会が取り組むべき社会的課題です。特に推し活事業を展開する企業は、自社の推し活事業が「ユーザーを依存状態に陥らせていないか」と自問し、依存リスクの低減に向けて取り組みを行う必要があります。

注意すべきは「承認欲求」の扱いです。欧米の推し活はコスプレで好きなキャラクターになりきる「没入型」、日本は推し活グッズ(缶バッジ、うちわなど)を大量に購入する「消費型」と言われます。消費によって承認欲求を満足させようとする日本の推し活は、世界で最も依存性の高い活動です。

ゲームの「ガチャ」のように、推し活事業では「推しが出るまで購入させる」といったランダム商法も散見されます。課金上限額の設定やランダム性の排除など、過度に承認欲求を煽らない仕組みが不可欠です。

推し活ブームは今後も続きそうです。楽しいはずの推し活が苦しい依存状態にならないよう、個人はオタクの行動を見習い、企業は過度にユーザーの承認欲求を煽らないよう節度を持った行動を心がける必要があるでしょう。