なぜ今、人類学がビジネスで注目されているのか-データで捉えられない文脈を読む

ビジネス界で注目を浴びる人類学

アマゾンの奥地で先住民の暮らしを記録する──人類学と聞いてこのようなイメージを持つ人も多いでしょう。しかし近年、人類学はアマゾン奥地からビジネス社会まで対象範囲が広がっています。

大企業の重要ポストに人類学者出身者が増えているのが何よりの証拠です。海外ではグーグルやインテルなどテクノロジーの最先端を走る企業では人類学者や哲学者が活躍しています。日本でもソニーが21年に人類学出身のリサーチャーを募集、23年4月には自然人類学者の長谷川眞理子氏が信越化学工業の社外取締役に就任し話題となりました。

今なぜ人類学なのか

「人文系はビジネスで役立たない」と揶揄されてきた人類学が注目を浴びるようになったのはなぜでしょう。

ビッグデータでは捉えきれない社会的文脈

これだけ膨大なデータが溢れていてもビジネスにとって「足りないデータ」というものがあります。それは文化やコンテクストのような社会的文脈から生み出される情報です。

  • 話下手なのに、なぜかある店に行くとうまく話せる。
  • どうみても演奏は下手なのに、そのグループのライブに何度も足を運んでしまう。
  • SNSをみると攻撃的な投稿をしてしまう。

こうした人たちは本人が自覚すらしていないことが多く、ビッグデータやアンケート調査を解析しても彼らの本質をうまく捉えきれません。

大量生産・大量消費時代のように皆が同じモノ(三種の神器)を欲していた頃は、限られた変数で消費者を分類・把握することができました。しかしモノがあふれ共通の欲しいものリストがない現代において、重要性を増しているのが消費者一人一人が置かれている社会的文脈です。先入観や仮説を持たず、ひたすら観察することで社会的文脈を読み取ろうとする人類学が注目されているのは自然の流れと言えるでしょう。

「そこにないもの」を浮かび上がらせる

人類学者は多様なものを多様なまま捉え、先入観を持たず対象をひたすら観察します。人間の行動を抽象的な数字の羅列と捉えるのではなく、社会的文脈に存在するものとして観察します。例えば、味は平凡なのに同じ町中華に通う人の行動は社会的文脈の中で理解しなくてはいけません。毎日通うのは店長と競馬の話をするためかもしれませんし、店に置いてある漫画を読みたいからかもしれません。

人類学者はなぜ先入観や仮説を持たず「ひたすら観察」なのでしょう。人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向──これを人類学では「ハビトゥス」と言います。人類学者がひたすら対象を観察するのは「ハビトゥス」を捉えるためです。

アンケート調査やグループ・インタビューの場合、どうしても分析する側の問題意識や仮説に沿って、特定の商品やアイデアを質問するスタイルになってしまいます。ハビトゥスを捉えるには「聞きたいことを聞く」のではなく、対象をあるがままに観察することで「そこにないもの」を浮かび上がらせる姿勢が不可欠です。

マイルス・デイビスは「そこにあるものを演奏するのではなく、そこにないものを演奏するのだ」と語っています。音階ではなく音の背後にある文脈を捉えるには、その世界にどっぷりと浸かるしかないというメッセージです。ハビトゥスを捉えるために観察対象にどっぷり浸かる人類学者とマイルスデイビス──人類学と音楽の意外な共通点に驚かされます。

人類学的アプローチの成功例

人類学がビジネスの世界でどれだけ有効なのか。人類学的アプローチで成功した2つのケースをみてみます。

リーマンショックを予想した投資家

金融は人類学的視点が最も欠けている業界といっても過言ではありません。データとモデルで金融市場に日々向き合ううち、あたかもグローバル経済全体を理解できているような感覚に陥る。マネーと利益追求は万有引力のような普遍的法則で、そこに人間的な要素は絡まないと考える。実際の金融は人と人との相互作用や文化と深く関わっているのに、です。

サブプライム問題はブルームバーグのモニターと現実の断層の大きさを象徴する出来事です。サブプライム問題がもたらす危機をいち早く予見し大儲けした4人の実話を描いた映画『マネーショート 華麗なる大逆転』は、金融市場を理解する上で人類学的視点がいかに有効かを教えてくれます。4人の投資家はなぜCDOの空売りという大勝負に出ることができたのか。きっかけは旅先のフロリダでどうみても返済できないような住宅ローンを抱えた人に出会ったことです。金融の連鎖の末端にいる生身の人間の姿を実際に見たことでサブプライム問題が持つ社会的文脈が読めた──4人が大儲けできたのは″人類学者のように″行動したからです。

「キット・サクラサクよ。」でブレイクしたキットカット

「ハブ・ア・ブレイク、ハブ・ア・キットカット」のキャッチフレーズで知られるチョコレート菓子「キットカット」。日本でのブレイクは文化的差異という人類学的知見によってもたらされました。

キットカット販売当初、日本では多くの母親が子供には甘すぎるとみられ、売れ行きはパッとしませんでした。しかし2001年、ネスレ日本の担当者が奇妙な現象に気付きます。九州だけ12月、1月、2月の売上が大きく伸びていたのです。九州ではキットカットが「きっと勝つとぉ(きっと勝つよ)」という九州の方言に似ていると評判になり、受験生のお守りとして購入されていたわけです。

ネスレ日本の担当チームは、キャッチフレーズを「ハブ・ア・ブレイク」から「キット、サクラサクよ。」に変え、試験前日に宿泊するホテルや、受験生を試験会場に運ぶ鉄道・タクシー、願書を預かり大学に届ける郵便局など地域の様々なパートナーと組みながら営業展開しました。結果、学生や家族・友人らがお守りに代わる新たな縁起物としてキットカットを購入するようになり全国的な大ヒットにつながりました。

「キット、サクラサクよ。」という日本人にだけ刺さるキャッチフレーズは、人類学者のように日本人をじっくり観察しなければ出てこなかったでしょう。

人類学から寛容性を学ぶ

人類学的思考でビジネスの世界を解説した「Anthro Vision(アンソロ・ビジョン)」の著者、ジリアン=テット氏は人類学的マインドセットとして次の3つの基本思想を提示しています。

  1. グローバル化の時代には見知らぬ人々に共感し、多様性を大切にする姿勢を育むことが急務
  2. 異質な他者の考えに耳を傾けることで、自らの姿もはっきりと見えてくる。
  3. 「未知なるものと身近なもの」を理解することで、他者や自らの死角が見えてくる。

「見たいものしか見ないSNSのフィルターバブルに囲まれて安心感を得る」「物事を善と悪に分けて理解する」「マッチングアプリでマッチした人としか付き合わない」──ダイバーシティの時代に必要なのは寛容性などと言っておきながら、実際の私たちの行動は寛容性からどんどん遠ざかっているように見えます。人類学への注目が高まっているのはこうした危機感の表れではないでしょうか。

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