膨大なタスクに追われる現代人
- 積み上がる一方のやることリスト
- 返しても返しても減らない受信トレイの中身
- 知り合いのSNS投稿をみて心がざわつく
- 話題についていくため倍速視聴であらすじだけチェック
- 本を開いても数分後にはスマホに手が伸びている
こうした悩みを持つ人は少なくないはずです。現代は「加速社会」と言われます。私たちの前にはいつも膨大なタスクがあり、その処理に追われてイライラ。結果、ひとつのことに集中できず、何一つ達成感が得られない。かく言う私も、原稿の〆切に追われながら気づいたらスマホをいじっていること多々です。
かつてケインズは、「100年後には1日3時間しか働かなくてよくなり、人々の悩みは忙しさではなく余暇をいかに楽しく過ごすかになるだろう」と述べました。しかし現実は余暇を楽しむどころか、ブルシット・ジョブと呼ばれるような意味のないタスクをつくっては多忙の海へ自ら飛び込んでいる。明らかにおかしいのです。
3つの加速装置
私たちはなぜ心をすり減らしてまで膨大なタスク処理に追われなくてはいけないのでしょう。限られた時間をもっと意義あることに使うことはできないのでしょうか。背景にあるのが3つの加速装置です。
加速装置1「インターネット」
インターネットが加速社会をもたらす装置であることは論を俟ちません。インターネットに流れる大量な情報は、やりたいことリストを無限に増やし、もっとやらなければという切迫感を与えます。
加速装置としてのインターネットの強力さはデータでも確認できます。社会生活基本調査(総務省)によると、PCやスマホの使用時間が長い人ほど、人間にとって必要不可欠な時間(睡眠・食事など)が減る一方、社会的な活動時間(仕事・家事など)が増えるという結果となっています。
睡眠や食事の時間を削ってまでやることリストを消化している。これでは限られた時間を有意義に使うことなどできません。
スマホ・PCの使用時間と種類別活動時間
加速装置2「効率化ツール」
2つめの加速装置は、膨大なタスクを処理するために活用される効率化ツールの数々です。映画の倍速視聴サービスから手軽にレシピを教えてくれる調理アプリまで、世の中はタイパな効率化ツールで溢れています。
効率化ツールによってタスク処理能力が各段に向上したのは確かです。しかしどんなに高性能な効率化ツールを入れても時間は決して余ることはありません。効率化ツールによってユーザーは「あれもこれも出来る」と思ってしまい、タスク処理したそばから新たなタスクを入れてしまうからです。人生は想像上の未来に描き込まれた設計図となり、ものごとが 思い通りに進まないと強い不安を感じるようになります。
効率化ツールはタスクの価値も変えてしまいます。タスクの中には時間をかけてこそ達成感が得られるものがあります。これを不便益と言ったりしますが、効率化ツールは不便益を消し去ってしまいます。旅行で観光名所を回れるだけ回っても心に残らないのと同じです。
加速装置3「機能で切り分けられる社会」
3つめの加速装置は、経済社会のあらゆる活動が「機能で切り分けられている」という現実です。
共稼ぎで子育て中の女性の生活をイメージすると、かつて家事・育児・教育は家族や地域社会が担ってきたのが、近代化とともに職場、家族、学校に機能分化していきます。職場では8時間以上のコミットを求められ、学校からは様々な行事への参加が求められ、子供がいじめに遭わないよう早起きしてキャラ弁を作る。社会が機能分化するほど母親のタスクは増えていきます。
機能分化による加速化は職場でもみられます。今の企業組織は、営業や経理に加え、コンプラ、リスク管理、企画など機能分化した専門部署で構成されています。専門部署がそれぞれの役割を果たそうとする結果、会社全体では膨大なタスクが積み上がる。まさに合成の誤謬です。いくら返信しても減らない受信トレイの中身は機能分化した組織構造がもたらす現象でもあるのです。
デジタルデトックスはなぜ気休めに終わるのか
終わったら元の多忙な生活に逆戻り
インターネットやSNS、効率化ツールのような加速装置から逃れる取り組みとして注目されているのが「デジタルデトックス」です。
- 一定期間、スマホやPCに触らない。
- お寺で座禅体験
- 写経をする。
など、インターネットやSNSの情報から一定期間離れることをデジタルデトックスと言います。
デジタルデトックスを行うことで、「ストレスが軽減される」「睡眠の質が良くなる」「肩こり・眼精疲労が和らぐ」といった効果があるようです。私も1日だけデジタルデトックスをしましたが、明らかに睡眠の質がよくなっていると実感しました。
デジタルデトックスは確かに効果があります。しかし問題はその効果が一時的であるという点です。元の生活に戻るといつものように目の前には膨大なタスクがあり、処理するために効率化ツールを使いまくる日々に逆戻り。デジタルデトックスを機に膨大なタスクを見直し、重要でないタスクを切り捨てられればいいのですが、実際にはそうなっていないケースが多いようです。
なぜ多忙な生活に戻ってしまうのか
なぜデジタルデトックスをしてもすぐ元の多忙な生活に戻ってしまうのでしょう。達成感が得られないタスクならやめてしまえばいいのにやめられない。それにはいくつか理由があります。
目的は「元気になって仕事に戻ること」
企業にとって余暇は仕事の疲れを癒し、再びバリバリ仕事をしてもらうためのものです。休息を取ったほうが社員の生産性が上がるということで、余暇は「仕事のための回復期間」という位置付けです。
デジタルデトックスも余暇と同じニュアンスを持っています。インターネットから一時的に離れることで心身をリフレッシュし、「元気になって仕事に戻りましょう」と言っているわけです。膨大なタスクという現実は変わりませんので、デジタルデトックスが終われば元の多忙な生活に戻っていく。デジタルデトックスは多忙な生活に対する対症療法に過ぎないのです。こうして「多忙な生活⇒デジタルデトックス⇒多忙な生活⇒デジタルデトックス・・」のサイクルが続いていくのです。
「時間をコントロールできる人が優れている」という思い込み
デジタルデトックスが「膨大なタスクを減らし、意義あることに集中するため」ではなく「元気になって仕事に戻るため」になっているという事実は、ある価値観や思い込みを反映しています。それは、
- 効率よく仕事をすると評価される。
- 優れた人間は時間をコントロールできる。
という考えです。書店に行けばタイムマネジメントの本で溢れているように、多くの人は大量のタスクを効率よくこなせるようになりたいと思っています。そうなると時間をうまく使えるかどうかが自分という人間の価値に直結してきます。時間をコントロールできなければ罪悪感でパニックになり、自分のことをダメ人間だと感じてしまうのです。
「優れた人間は時間をコントロールできる」と思っている限り、デジタルデトックスをしても余暇以上の効果がないのは当然です。
死という現実に向き合いたくない
人生は有限です。私たちは皆死に向かって生きています。そんな当たり前すぎる現実を多くの人はあえて見ないようにしています。
何かを捨てて何かを選ぶことは、人生の有限性を認めることになる。だから嫌々言いながらも日々の忙しさに身をゆだねることで人生の冷酷な現実から目を背けようとしているのではないでしょうか。多忙さとの共依存です。
群れからはぐれたくない
デジタルデトックスをしてもまたインターネットやSNSの世界に舞い戻ってしまうのは「群れからはぐれたくない」という脳の機能が影響している可能性があります。精神科医でベストセラー「スマホ脳」の著者でもあるアンデシュ・ハンセンによると、私たちの脳はまだ狩猟採集民の時代にいると思い込んでいるそうです。
現代社会はつながりを失っています。60年代には農村人口が都市部に移転され(地域の空洞化)、男はサラリーマンとして女はそれをサポートする専業主婦となります(家族化)。80年代になると女性の社会進出によって専業主婦化が緩和され、コンビニやファミレスなど外部サービスを利用するようになります(家族の空洞化)。
地域と家族の空洞化によってつながりが失われていくなか、新たなつながりの場となっているのがSNSです。サバンナ時代にいる脳はSNSによるつながりが群れだと信じます。サバンナ生活では群れとはぐれることは命取りになるため、SNSという群れからはぐれるわけにはいきません。したがってデジタルデトックスは群れから一時的にはぐれる行為とみなされ、早くSNSという群れに戻ろうとする。
おかしな話ですが、脳の中ではこのようなストーリーが展開されている可能性があるのです。
自分の人生を生きるにはどうすればいいのか
では、加速社会から逃れて自分の人生≒時間を生きるにはどうすればいいのでしょう。
死という現実に向き合う
先に述べたように、多くの人は死という現実から目を背けながらやり過ごしています。しかし膨大なタスク処理による焦燥感から抜け出すには、「人生には限りがある」という当たり前の現実を真正面から受け止める以外ありません。
「人生には限りがある」という現実に向き合えば、インターネットから絶え間なく流れてくる可能性の海に身を投じるのではなく、その中から意義あることを選択できるようになるはずです。
死という人生の有限性を直視して初めて、本当の意味で自分の人生≒時間を生きることができるのではないでしょうか。
強いつながりを取り戻す
つながりを再構築することも重要です。SNSによる弱いつながりは顔が見えないために「いつ裏切られるか」という不安感を増大させます。脳にとってそれは群れからはぐれる危険性を意味しており、SNSを利用すればするほど心が休まらないのはそのためです。
必要なのは顔の見える「強いつながり」、何かあったときに助けてくれる仲間がいるかどうかです。SNSで何万ものフォロワーがいても、その中に何かあったときに助けてくれる人はどれだけいるでしょうか。SNSのような弱いつながりではなく、何かあったときに助けてくれる強いつながりが必要です。
先に述べたように、地域と家族の空洞化によって現代社会は強いつながりを失っています。強いつながりを取り戻すには時計を逆回転させる必要があります。幸いなことに、コロナ禍の在宅中心の生活で、地元の良さを再発見したという人が増えています。地域密着の個性的なお店も増えています。食品スーパー業界では八百屋という昔ながらの顔の見える付き合いを重視したスタイルが見直されています。
顔の見える強いつながりを持つことで、加速社会による荒波に翻弄されることなく自分の人生≒時間を生きられるようになるのではないでしょうか。