拡大する資産格差
「NISA貧乏」の衝撃
「NISA貧乏」──。2026年3月の国会で取り上げられて話題になった言葉です。若者が将来の備えを優先しすぎるあまり、現在の生活費が不足し、日常生活が圧迫されていることを表しています。資産形成は生活を豊かにするための手段であって目的ではありません。貴重な若者の「今」を犠牲にしてまで優先すべきものではないはずです。「積み立ては無理のない範囲で」「人生設計を考えてから必要な額を投資に向けましょう」──専門家の多くはこのようなことを言うはずです。これが資産形成の鉄則だからです。しかしこれを若者に説いたところでNISA貧乏が直ちに止まるとは思えません。理屈は分かってもモヤモヤ感が拭えないからです。
地方のジニ係数が都市を上回る
モヤモヤ感の正体は「資産格差」です。格差といえば「所得格差」が想起されますが、深刻なのは「資産格差」のほうです。3人に1人は貯蓄ゼロと言われるように、資産格差は日本でも社会問題化しています。
格差の程度を表す金融資産ジニ係数をみると、90年代以降右肩上がりで上昇し続けているのがわかります。注目すべきは、資産格差の拡大が「地方」で進行している点です。地方圏の金融資産ジニ係数は2014年に都市圏の水準に達し、2019年には都市圏を追い越しているのです。
都市と地方の金融資産ジニ係数の推移
地方で資産格差が進むことの意味
近所の同級生との格差はイヤ
地方で資産格差が進行することは何を意味しているのか。それは、これまでニュースやSNSでしか知ることのなかった資産格差がより「身近」に感じるようになるということです。
人は相手が身近なほど比較してしまう生き物です。イーロンマスクの資産を知ってもそれほど気になりませんが、近所に住む同級生が株で大儲けしたとなると途端に落ち着かなくなるわけです。
「身近」な格差は同年代との格差にも表れています。年代別にみると、若い世代ほどジニ係数が高くなっています。さらに実物資産を含めた資産全体のジニ係数をみるとその傾向がより顕著です。地元に出来た高級マンションに住む同級生から儲け話を散々聞かされる──。こうしたシーンが若者の間で増えているということなのです。
年代別ジニ係数(実物資産+金融資産)
「自己責任」「努力が足りない」の呪縛
高級マンションに住む同級生から儲け話を聞かされても、自分は自分として出来る範囲で積立投資を行えばよい──このように金融専門家が言い聞かせても若者のモヤモヤは収まりません。ベーシックインカムで最低限の生活が保障される時代が来る、と言われても同じでしょう。
身近な人との格差をこれほど忌避する理由は何か。「格差は自己責任」「努力が足りないから」という現代社会に内在化された自己責任論が呪縛となって若者に重くのしかかってるからです。
生協総研が行った人づきあいに関するアンケート調査によると、経済的に厳しい人ほど「寂しくても自由」を選択する意見が多かったそうです。孤独で寂しいのに自由(一人)を選択する。うしろめたさから「寂しくても自由(一人)」を選択せざるを得ず、地域とのつながりは希薄化に向かいます。コンビニやスーパーに行けば必ず顔見知りに会う地方ではなおさらです。資産格差は地域からつながりを奪う原因にもなっているのです。
複利効果の威力
資産格差を解消するにはどうしたらいいのか。はっきりしているのは資産格差は簡単に縮まるものではないという点です。理由は「複利」です。かのアルベルト・アインシュタイン博士に「複利は人類最大の発明」と言わしめるほど、複利は圧倒的な効果をもたらします。
金融資産500万円を持つ同級生に追いつくにはどうしたらよいかを考えます。一般に積立投資の金額は月1~3万円程度と言われます。仮に新NISAで月3万円の積立投資を行うとすると(年平均リターン4%と仮定)、同級生の資産額に追いつくには約20年かかります。同級生は何もしなくても複利効果によって資産額が増加するからです。実際には同級生も積立投資を行うでしょうから、格差は一向に縮まらないのです。
身も蓋もない結論ですが、これが複利効果の威力です。資産運用の肝は「早く始めて長く続ける」です。金融資産で後から追いつくのは至難の業です。
複利効果の威力
格差に囚われない資産形成は可能か
「執着」を手放す
一生かかっても近所に住む同級生の資産額に追いつけないかもしれない──。あまり想像したくありませんが、複利による格差拡大が止められない以上、今後はこうした事態が地方で増えてくるはずです。焦ってなんとかしようとすると、生活費を削ってNISA貧乏になったり、ワンチャンを狙って危険な投資商品に手を出したり──待っているのは悲劇しかありません。
ではどうすればいいのか。自分の人生と向き合って無理のない範囲で積立投資を行う──。聞き飽きたセリフですが、結局のところ、これしかないのです。そこで重要になるのが「執着」を手放すこと。執着は他者と自分を比較することから生まれます。アドラー心理学では、悩みや執着を手放すには「課題の分離」が有効と説きます。同級生の資産形成は同級生の課題です。同級生の資産に追いつこうとするのは、同級生の課題に乗っかっていることを意味します。自分の資産形成に同級生は関係ない。こうした割り切りが必要です。
地域の中で「役割」を持つ
資産格差に囚われないマインドを保つもう一つの方法は、地域の中で「役割」を持つことです。エーリッヒ・フロムは、何かを「持つこと(Having)」から、自らの存在に価値を置く「あること(Being)」へ移行することが人間性の回復にとって重要と説きました。地域住民にとっての「あること」は、地域の中の「役割」のことです。江戸時代の格差は現代の比ではなかったはずですが、江戸の庶民が生き生きと描かれているのは、身分の違いはあれど、一人一人が社会の中で明確な「役割」を持っていたからではないでしょうか。
地域の中で一人一人が「役割」を通じてつながっていれば、格差があっても自分を責めたり卑屈になったりすることはありません。資産持ちの同級生に会っても冗談を言い合いながら資産運用の話ができる。居酒屋で富裕層から焼き鳥をおごってもらっても、僻んだり僻まれたりすることもない。関係性の中で背筋を伸ばして存分に活躍する役割があれば、格差による痛みは乗り越えられるはずです。
地域ビジネスが「役割」を引き出す
問題は地域の人々にどうやって「役割」を提供していくかです。かつては祭り、町内会、近所付き合いといった活動が一人一人に役割を提供してきましたが、こうした従来の地域活動は停滞ぎみです。そこで期待されるのがビジネスの力です。昨今はビジネスの現場で地域の関係性づくりを目指す動きが活発になっています。新興デベロッパーのStaple(ステイプル)は三井住友信託銀行と観光地開発ファンドを共同設立、地域の交流づくりを目指して、徒歩圏内に住民も使える銭湯や飲食店、商店を連続開発する予定です。
自家用車を使った運送事業、地域の伝統行事を活用した観光プログラムなど、住民参加型の事業も増えています。地域住民が地域の問題や自らの文化を再認識し、自発的に動くことで「役割」が生まれます。カフェやスナック、バーの重要性も増しています。自宅でも職場でもないサードプレイス(第三の空間)は格差とは無縁の空間です。
地位やお金や技術を持たなくとも、そこに「あること」「いること」だけで価値がある。そう感じさせてくれる空間を地域の中に生み出していく。資産格差があっても地域のつながりを失わない。こうした地域社会を目指すべきではないでしょうか。