貯蓄を増やしても消えない将来不安 -「今」を犠牲にする若者層の苦悩

投資ブームの陰で将来不安を抱える人は増える一方です。そこに浮かび上がるのは、将来に心を奪われて「今」を見失った若者たちの姿です。若者層の不安の根源はどこにあるのか、どうすれば「今」を生きられるようになるのか考察します。

健全とは言えない投資ブーム

若者の将来不安

2024年から始まった新NISAを機に、若者層中心に投資ブームが沸き起こっています。投資信託の資金流入額は過去最高を更新し続けています。

若者が「将来への備え」として投資に関心を持つ──それ自体は望ましいことです。しかし、急かされたように投信の購入ボタンを押す若者の姿をみると、どこか違和感を禁じ得ません。悲壮感というか、健全とは言い難い危うさを感じるのです。

若者の投資が地に足を付けた健全なものであれば「心の状態」も健全であるはず。しかしロナ禍以降急速に高まった若者層の将来不安は一向に収まる気配がありません。経済的なゆとりや見通しが持てない若者層の割合は過去最大になっているのです。

経済的ゆとり・見通しが持てない割合の推移(年代別)

(出所)「社会意識に関する世論調査」内閣府

切迫感で始める投資の危うさ

今の若者層を投資に駆り立てるもの。それは「このままボーっとしていてはマズイ」という切迫感です。物価高、住宅価格の高騰、安定が見込めない雇用と収入、年金不安──若者層を取り巻く経済環境には明るさが見えません。本屋さんの棚は投資に関する本が溢れ、「今投資しなければ乗り遅れる」と煽っているかのようです。

答えを探すためにSNSで情報を収集しますが、そこに答えなどありません。「事実なるものはない。ただ解釈だけがある」──ニーチェが言うように、情報のほとんどは人々の関心を惹きつけるための「解釈」に過ぎません。「若者は年金がもらえない」といった投稿を目にし「もっと投資を増やさねば」と不安が高まる。下のグラフが示すように、「社会に満足していない」人の多くがSNSから情報を得ていることがわかっています。悲観的なコンテンツほど閲覧数が伸びるため、SNSには絶えず悲観的な情報が流れてきます。SNSに長く接する若者ほど不安になるのは当然といえます。

「社会に満足していない人」の情報源(2023年)

(出所)「社会意識に関する世論調査」内閣府

「今」を犠牲にする若者層

支出を削って貯蓄する若者

切迫感からの投資は「過度な倹約」として表れています。消費性向(収入のうち消費に回す割合)を年代別に見たものが下のグラフです。コロナ危機以降、どの年代も消費性向が大きく下がっているのがわかります。消費性向の低下は収入の低い若者層にとって大きな負担です。必要な支出を削ってまで貯蓄をしていることになるからです。

かつて日本は社会全体が貧しく、ほとんどの人はその日の生活を賄うことで精一杯で貯蓄をする余裕などありませんでした。それでも若者はお金がなくても無邪気なほど前を向いていた。若者がリスクを取ることで経済が発展し社会が豊かになり、結果として貯蓄する余裕が生まれたのです。過度な倹約をする今の若者にかつての若者の姿はありません。

年代別消費性向の推移

(出所)「家計調査」総務省

不安は「今」を奪う

将来に対する切迫感・危機感は、若者層から「今」を奪っています。「投資しなければ乗り遅れる」という切迫感は、意識を将来に向け今を置き去りにします。

内閣府「国民生活に関する世論調査」によると、「将来に備えるか、毎日の生活を充実させて楽しむか」という質問に対し、「現在より将来に備える」と回答した割合は、若者層で大きく増加しています(下のグラフ)。仏教では、過去を悔まず、未来を憂えず、「今この瞬間」に集中することで人は幸福になると教えます。今が充足していないから将来不安が生まれることは明らかです。

若者層の「現在より将来への備えを重視する」割合

(出所)「国民生活に関する世論調査」内閣府

動物には不安がない

心理学者の岸田秀によると、時間とはそもそも「不安」から来ているそうです。過去を振り返るとき、将来をみつめるとき、人は不安を感じるものです。

満足されなかった欲望を媒介として過去が絶えず現在に割り込んでくるがゆえに、現在と、現在の中に割り込んできた過去とを区別する必要があるのである。(中略)──現在が現在として充足しているならば、時間は不必要かつ不可能である。
岸田秀「ものぐさ精神分析」

その点、動物には不安というものがありません。動物にとって重要なのは「今この瞬間」だからです。目の前の獲物をどうやって捕まえるか──動物は「今」がすべてです。今しかない動物にとって時間など不必要なのです。

「今」離れは米国でも起きている

不安に囚われて「今」を軽視する傾向は日本の若者層だけの話ではありません。米国では若者層の破滅的消費(Doom Spending)と呼ばれる現象が社会問題化しています。コロナ危機後の物価高や労働市場の悪化などにより、将来を悲観した若者層が不安を紛らわすために借金を重ねて無謀な浪費を行う行動だと言います。

不安を紛らわそうと破滅的消費に走る米国の若者、不安に怯えるあまり盲目的に倹約に走る日本の若者──。どちらも将来不安に囚われて「今」を犠牲にしている点で同類といえます。

どうすれば不安から逃れられるのか

このように今の若者層は過去と将来に心が奪われた状態にあります。「今」に意識が向かない状態でいくら投資を増やしても不安は消えないのは当然です。では若者が本来の活力を取り戻し、不安から解放されるにはどうすればいいのでしょうか。

不安の根源は「足場を失ったこと」

物価高、格差、年金不安──若者層の不安を経済的要因で説明する論調が目立ちますが、本当にそうでしょうか。不安の原因として経済的要因が大きな位置を占めているのは確かです。しかし仮に経済不安がなくなったとしても、私には今の若者がただちに活力を取り戻す姿をイメージすることができないのです。

若者層の不安の根源はもっと深い場所にあるのではないでしょうか。それは今の若者層には拠って立つ足場がないということです。かつての若者がお金がなくても無邪気に前を向いていられたのは、家や共同体のような足場があったからです。福田恒存は足場のことを「宿命」と呼んでいます。

私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である。私たちは自己の宿命のうちにあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味わえるのだ。自己が居るべきところに居るという実感、宿命感とはそういうものである。
福田恒存「人間・この劇的なるもの」

大きな失敗をしても無条件で受け入れてくれる足場があるからこそを踏ん張ることができます。しかし家や共同体とのつながりが消え、自由の海に投げ出された今の若者層には足場がない。足場を失った若者層は「今この瞬間」に意識が向けられずネットの世界で宙ぶらりんになっているのです。

自分の中に足場を作る

足場のない状態では経済的不安が消えても浮遊感に囚われ、再び新たな不安を抱えて生きる羽目になります。福田恒存の言う「自己が居るべきところに居るという実感──宿命感」が必要です。

若者層が自分の足場を取り戻すにはどうしたらいいのか。まずは若者層から足場を奪う原因となっているネットとの距離感を見直すことです。その上で、身近な家族や友人と真剣に向き合う。スマホをみながら会話するのではなく、しっかり相手の顔を見て話すことです。

そしてもっとも重要なのは自分の中に足場を作ること。自分の身体と向き合い、自分が今どのような状態で何を欲しているのか──SNSではなく自分の中に答えを見つける姿勢が強力な足場をつくります。自分の身体に足場を作るには自然に触れることが一番です。人と自然の結節点となる神社に行くのも有効でしょう。

まとめ

足場を取り戻す──これは文字通り「地に足を付けて」生きることを意味します。SNSではなく自分の中から湧き上がる声に従う。その声に従って将来像を描くことができれば、今どれだけの投資をすればよいのかというイメージも見えてくるはずです。貯蓄を増やしても不安な状態はもうありません。


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