チケット価格の高騰が止まらないワケ - プロモーション的役割から収益源となったライブ

高騰するチケット価格

高すぎてライブに行けない

コロナ禍の反動増もあり、ここ数年はライブやフェスが大きな盛り上がりを見せています。2024年のライブ・エンタテインメント市場は7,605億円と19年比で2割増加しています(ぴあ総研調べ)。

そんな中、ライブ好きの仲間から悲鳴が上がっているのが「チケット価格の高騰」です。ライブチケットの平均価格は2024年に1万円の大台を超えました。19年比で約4割の上昇です。海外アーティストのチケットは、もはや1万円以上が常識となっています。

私も音楽好きの仲間と年に数回ライブを見に行くのを楽しみにしているのですが、これだけ上昇するとさすがにライブに行く頻度が減りました。

ライブのチケット単価

(出所)ACPC

消費者の価格許容度は限界に

もとより、ライブ好き人間はチケット価格が多少上がっても気にしないものです。しかし1万円以上が当たり前の世界となると、私のように行く頻度を控える人が出てくるのも仕方ないというものでしょう。

アンケート調査で「いくらまでチケット代を出せるか」尋ねたところ、「~5,000円」4%、「5,001円~10,000円」36%、「10,001円~15,000円」34%、「15,001円~」27%という結果です(oshicoco調べ)。つまり約4割の人がチケットに1万円以上も払えないと感じているのです。

それもそのはず、消費支出に占めるエンタメ支出の割合は、コロナ禍前の水準を越えて過去最高に達しています。他の支出を切り詰められればいいのですが、今のようなインフレ下ではそうはいきません。消費支出に占める食費の割合(エンゲル係数)は約40年ぶりの高水準──他の支出を削ってチケット代に回す余裕は今の家計にはないといっていいでしょう。

家計のエンタメ支出割合とエンゲル係数

(出所)家計調査

チケット価格の上昇はまだ続く

チケット価格の高騰が一時的な現象であれば「今は我慢のとき」と耐えることができるでしょう。しかしこの状態が今後も続くとなるとどうでしょう。

インフレには「景気循環に伴う現象」と「構造的な現象」の2つの側面があります。前者であれば、時間が経てばインフレは収束しますが、後者であればチケット価格の上昇圧力は継続する可能性が高くなります。そして残念ながら、今のインフレは後者の構造的な現象という側面が強いのです。

人手不足

まずは人件費です。ライブ業界では深刻な人手不足が起きています。ステージ設営会社、照明・音響会社など、コロナ禍でライブに関わる人材が大量に辞めてしまい、今も戻ってこないためです。

そもそもライブとは労働集約型の事業です。ステージ設営や照明はAIに代替できるものではありません。労働需給が締まった状態で人件費の上昇はしばらく続くと言わざるを得ないと思います。

収益の柱がライブにシフト

2つめは音楽業界のビジネスモデルが変化したことによるものです。従来、音楽業界の収益の柱はアナログレコード、CDといった音楽媒体でした。近年はCDよりストリーミング配信の売上げが大きくなっていますが、収益の柱と呼べるほどの規模には至っていません。

そうした中、新たな収益の柱として期待されているのがライブです。以前のライブはCDやグッズ販売のプロモーション的な位置づけでしたので、チケット代は多少安くてもよかったわけです。しかしCDが売れなくなった今、音楽業界は「ライブで稼ぐ」収益構造にシフトしようとしています。下のグラフにあるように、今や音楽市場の主役はCDなどの音楽ソフトではなくライブです。ストリーミング配信が急激に伸びてはいますが、主役になる規模には至っていません。

ライブの役割がプロモーションから収益源に変わると、人件費や資材費、電気代、輸送費などのコストの増加がダイレクトにチケット価格に反映されやすくなるわけです。

音楽市場規模の内訳推移

(出所)日本レコード協会、ACPC

高いチケット代が音楽市場の魅力を奪う

若者のライブ離れ

チケット代の上昇が今後も続くとなると、真っ先に思いつくのが「ライブ離れ」です。先のように家計のエンタメ支出割合が過去最高レベルになっています。これ以上ライブにお金を回す余力は残っていないのです。

なかでも心配なのがライブ顧客の中心である若者のライブ離れ。それでもライブに行きたい若者はどうなるか。米国では借金をしてライブに行くZ世代が社会問題になっていると聞きます。

均質化とディズニー化

チケット代の高騰はライブ市場の魅力をも奪うかもしれません。高額チケットでも会場を埋められるアーティストとなると、テイラースウィフトやビヨンセなど集客力のある大物アーティストに限定されます。会場の大型化もこの傾向に拍車をかけています。有名な大物アーティストだけが大型会場で派手なライブを行う──均質化とディズニー化の進行です。

ライブがプロモーションの役割を果たしていた時期は、これから伸びそうなミュージシャンに出会うワクワク感がありました。ライブ市場の均質化ディズニー化は、多様なミュージシャンに触れる楽しみを奪ってしまいます。

会場別公演数の推移(2019年=100)

(出所)ACPC

ライブ離れを食い止めるには

ライブは「好きを共有する空間」

私にとってライブとは『自分の「好き」を誰かと「共有」する空間』です。人は何かに没頭すると、その「好き」を誰かと分かち合いたいと思うものです。

私は大学時代にギターに没頭し、その「好き」をバンド仲間と分かち合う幸運に恵まれました。今でも当時のバンド仲間とライブに行くのは、そのときの「好き」を今でも自分は大事に持っている、この思いを仲間と分かち合いたい──そう感じているからだと思います。ライブという空間は、現代人が失いつつある「共同体感覚」を思い起こさせてくれる貴重な場でもあるのです。

「ライブハウス」に期待

今はストリーミングの普及で自分好みの音楽がいつでも聴ける時代です。「どうせライブに行けなくても、家で大好きな音楽を聴けるし、わざわざ遠くの会場まで出かける必要がない」──こんな考えが広がってしまう可能性は十分あります。そうなると、若者の「好き」はオンラインの中で漂ってしまい、リアルな共同体感覚を味わえない状態が続くのです。

ライブという貴重な空間が縁遠い場になってしまうのはなんとしてでも食い止めたいところです。ではどうすればいいのか。私が期待しているのは「ライブハウス」です。ライブハウスのチケットはアリーナほど高額ではありません。しかもライブハウスはアーティストと観客の距離が近いため、会場の人々と一体になって盛り上がることができます。ストリーミングで知った「推しアーティスト」を生で見れる可能性も広がります。音楽の多様性を守るうえでもライブハウスに期待したいところです。

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