運・ツキ派が急増中
「努力は必ず報われる」。元AKB48の高橋みなみの名言です。しかしこれとは裏腹に「努力は必ず報われる」と思っている人は年々減っているようです。
博報堂生活総研が継続的に行っている意識調査では「世の中、努力より運・ツキだと思う」と答える運・ツキ派は年々増える傾向にあります。特に20代は努力派と運・ツキ派がほぼ同じ割合になっています(下図)。高橋みなみが「努力は必ず報われる」と語ったのは2011年6月。皮肉にもその頃から努力派の割合が下がり続けているのです。
「努力派」と「運・ツキ派」の推移(20代)
私は「成功したければ努力しなさい」「一つでもいいから自分が自信を持てるものを持ちなさい」と言われてきた世代です。広く浅く手を付けるのではなく、何か一つのことに集中して努力すれば道は拓かれるという教えです。しかし今の若い世代はそのようには考えない。
- 「努力は報われる」かもしれないがコスパが悪い。
- 色々なことに手を出して、後は運・ツキに任せた方がコスパがよい。
地道に何かに取り組むのは「コスパ」が悪いので、最小限の努力でうまく立ち回ってワンチャンをものにしたものが勝ち。こうした考えに共感する人が多いようです。実際、SNSやYouTubeではワンチャンをモノにして高額報酬を手にする若い人もいます。こうした成功例を日々目の当たりにしている若い人が、「努力より運」と考えるようになるのは自然なことなのかもしれません。
運・ツキ派が抱える焦りと不安
では運・ツキ派の人の心理状態はどうなっているのでしょう。努力は「つらい」、運・ツキは「楽」というイメージがあります。運・ツキ派の増加は、単に面倒くさがりで楽をしたい人が増えているということなのか、それとも何か別の背景があるのでしょうか。
60年代と今の若者の違い
「そのうち何とかなるだろう」と軽やかに歌ったのは植木等です。この歌には必死に努力するより適当に手を抜いて気楽に生きていこうというメッセージが込められています。この曲が出た60年代は高度経済成長期で日本企業も絶好調。多少手抜きをしても本当に「そのうち何とかなった」時代です。植木等の歌に共感した当時の若い人は「楽観的な運・ツキ派」です。
現代の若い人を取り巻く環境は60年代のそれとは真逆です。日々大量の情報が流れてくるネット社会は人々に、「あれもこれもやらなくては世の中から脱落してしまう」という焦りと不安を覚えさせます。「そのうち何とかならない」世界に生きているのです。
「努力は報われる」かもしれない。でもやらなければいけないことがあまりに多く、一つに集中して努力するのはメンタル的にきつい。まずは世の中から脱落しないよう、やらなくてはいけないことをこなしていくしかない。そこでうまくいけばワンチャンをモノにできるかもしれない。淡い期待とも違う、どこかあきらめにも似た感情を抱える今の若い人は「悲観的な運・ツキ派」といえます。
コスパ・タイパでこなすしかない
「悲観的な運・ツキ派」の行動パターンは「コスパ・タイパ」です。膨大なやることリストをこなすにはコスパ・タイパで処理するしかないからです。
タイパで仕事をこなす
やっと作業が終わったと思ったらまた別の仕事が舞い込んでくる。現代の仕事の現場は日々やることリストが増えていく状態にあります。コンプライアンスやリスク管理のための事務手続きなど、今までなかった種類のタスクがこれに拍車をかけています。
仕事量が多いなら減らせばよいのですが、そう簡単にはいきません。今の企業組織は専門分化されているため、他部署からの依頼は断りにくい構造になっているからです。部分最適の集合体となった企業組織の仕事量は増え続ける運命にあります。
仕事量は減らせないとなると、自動化・高速化で業務効率を上げて処理するしかありません。仕事のタイパ化です。最近は業務効率を上げるための様々なツールが開発・提供されています。時間を使う「思考」をなるべく排除し、タイパツールを駆使して業務をこなしていく。多くの職場がこのような方向に進んでいます。
教養もタイパ
最近は「ビジネスパーソンには教養が必要」というメッセージがメディア等で取り上げられることが多くなりました。タイパ・コスパは教養という分野にまで広がっています。身に付けるべきスキルが多いのに時間がない。こうした不安と焦りは「自分にとって必要なスキルは何か」を考えるより、「手っ取り早く、役に立つ知識やスキルを習得できる方法はないか」という意識を生みます。
書店のビジネス書コーナーには「すぐに役立つ・・・」「もう悩まない・・・」といったタイトルの本が並び、YouTubeでは人気のビジネス書や古典を解説した教育系チャンネルが人気を集めています。
本来、教養とは知識をじっくり自分の中にしみ込ませることで人生の広がりを得るものです。しかし焦りと不安を抱える現代人は、教養を「ビジネスですぐ役立つ道具立て」としかみれなくなっています。
ワンチャン頼みの限界
運を活かすも殺すも努力次第
「VUCAの時代(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧さ)」と言われるように、現代のビジネス環境は不確実性が増しています。どっちに転がるかわからないなら、コスパ・タイパの良い方法で広く浅く手を広げてワンチャンを待つのが合理的。そう考えるのもわからなくはありません。
しかしそこには大きな落とし穴があります。必死に努力した人に巡ってくる運と、タイパでうまく立ち回った人に訪れる運では、その先が大きく異なります。前者の運は必死の努力が実を結んだ結果であり、長期的な成功につながるものです。メジャーリーグで大活躍中の大谷選手は、少年時代から求道者のように野球のことだけを考えてトレーニングを積んできたそうです。その中で高校時代の佐々木監督やプロ野球の栗山監督といった優れた指導者に出会う幸運に恵まれ、そのチャンスをモノにしたわけです。まさしく「努力は報われる」です。
一方、タイパで手に入れた運はたくさんまいた種のうちの一つが「たまたま当たった」という類のものです。役に立ちそうな教養本をタイパで読んだおかげで役員に評価され、運よく昇進することができた。そうした人もいるかもしれませんが、そもそも教養は「ビジネスの役に立つかどうか」という姿勢で身につくものではありません。物知り程度の教養では部下はついてこないでしょう。
VUCAの時代では運・ツキ(偶有性)の影響が大きくなるのは確かですが、ビジネスはギャンブルではありません。ワンチャン頼みの成功が長続きしないのは歴史が語っています。偶有性の海を泳ぎ切るには、努力に裏打ちされた本物の実力が必要ということです。運を活かすも殺すも努力次第ということです。
夢中になるものを見つける
ワンチャン頼みの成功は長続きしない。運が及ぼす影響が大きくなっているとはいえ、努力の重要性は今も昔も変わらないということです。そうした意味で、近年の努力派の減少は深刻に受け止めるべき事実といえそうです。
では日々の膨大な情報に振り回されることなく、地道に努力を続けるにはどうしたらよいのでしょう。哲学者の千葉雅也氏は著書のなかで、深く勉強するというのは「ノリが悪くなること」と語っています。コスパ・タイパで世の中にうまく合わせるノリを捨て、そこから外れて孤独に努力し続ける。ノリが悪くなることはなかなかのハードルです。
意識してノリを悪くするのは難しいのであれば、「気付いたらノリが悪くなっている」状態になればいいわけです。それはどのような瞬間か。「何かに夢中になっているとき」です。
タイパ・コスパを意識しすぎると「この程度でいいか」という気持ちになり、中途半端な結果に終わるものです。大谷選手は野球に関係ないことにはあまり関心がないそうです。それは彼が自制心があるからということではなく純粋に「野球に夢中になっているから」です。コスパ・タイパを意識した練習では彼のような偉業は成し遂げられません。消費の場面でも、Amazonのリコメンドに従ってポチっとするより、夢中になって情報を調べ、その商品のファンになってから購入するほうが高い満足度が得られます。
努力は報われる。夢中になるものを見つけましょう。