目にする機会が増えた「ゾンビ企業」
最近になって再び「ゾンビ企業」という用語を目にする機会が多くなりました。グーグルの検索トレンドをみても「ゾンビ企業」は24年に入って急上昇しています。
「コロナ禍で困窮する中小零細企業の資金繰りを支えるため実施されたゼロゼロ融資がゾンビ企業の延命につながっている」──という具合です。ゼロゼロ融資の返済と日銀の追加利上げによってゾンビ企業というワードが再び注目を浴びるようになってるのです。
私は以前からこの「ゾンビ企業」という用語になんともいえない違和感・抵抗感を感じています。ゾンビとはそもそも「死に体」を意味する言葉です。ゾンビ化した世界を描いたドラマ「ウォーキング・デッド」では、ゾンビ化した人間はそれが仮に肉親や友人であっても「消さなくてはいけない対象」となります。ゾンビという言葉にはこの世に存在してはいけない──社会悪の意味が込められています。
そのゾンビという言葉を安易に企業に対して使ってしまう。ゾンビ扱いされた企業は「存在価値がない」「淘汰されるべき」となる。果たして苦境に陥っている企業のすべてが「存在する価値がない」などと言えるのか──これが私が抱く違和感です。
財務指標だけでゾンビ企業と定義される
ゾンビ企業という言葉が使われ始めたのは1990年代前半のバブル崩壊以降です。バブル崩壊によって不良債権問題がクローズアップされ、その後の「失われた10年」を分析する際に専門家が使い始めました。再建見込みのない企業に「追い貸し」をして延命させた──こうした事実を象徴する用語としてゾンビ企業という言葉が広がりました。
ゾンビ企業には定義があります。国際決済銀行(BIS)によるゾンビ企業の定義は以下です。
- 設立10年以上
- インタレスト・カバレッジ・レシオ(利払い負担に対する利益の比率)が3年以上にわたって1未満
つまりゾンビ企業とは財務状態が悪化した企業の状態を表す用語に過ぎず、それ以上でも以下でもありません。極めて厳しい経営状態にあることは確かですが、それをもって「存在する価値がない」「淘汰されるべき」とゾンビ扱いするのは、事実と価値を混同していることになります。輸血が必要な人に対し、あなたは生きている価値がない(価値)と言っているのと本質的に変わりないのです。
事実から規範は導き出せない
ヒュームの法則に学ぶ
事実と価値の混同──ここから連想されるのが有名なヒュームの法則です。18世紀の哲学者デイヴィット・ヒュームは、「事実(である)から規範(べき)を導くことはできない」と主張しました。事実から規範が導き出されるなら、暴力団や詐欺師の論理(強ければいい)も正当化されてしまうからです。
このヒュームの法則に従うと、「財務状態が悪化した企業」という事実から「その企業はゾンビと同じだから淘汰されるべき」という規範は導き出せないのです。
以下のようにヒュームの法則に反する事例は枚挙に暇がありません。
- 弱い者が淘汰される(事実)のは自然界の法則だから避けられない(規範)
- 生産性の低い老舗旅館(事実)から収益性の高いホテルに転換すべきだ(規範)
- 使えない中高年社員(事実)はクビにすべきである(規範)
一つの事実だけで結論を導くことは非常に危険な発想です。「ITスキルがない」という事実だけで使えない社員レッテルを貼るのは、その社員の持つ別の価値・スキルを無視することになるからです。「財務状態が悪い」という事実だけでゾンビ企業扱いするのも同じです。
ゾンビ企業論はゼロイチ思考を助長する
一つの事実だけで規範を導くヒュームの法則に反する思考は、多様性を認めないゼロイチ思考を助長することになります。
顔なじみの店長のいるパン屋、凄腕料理人のいるフレンチ店──こうした地域を彩るお店が経営不振に陥った場合、店長に対して「あなたのお店はゾンビなのですか」などと言えるでしょうか。多様な価値を持った企業が人々を幸せにする──このような規範を出発点とするなら、ゾンビ企業のような差別用語は生まれてこないはずです。
地域から愛される企業であれば、財務状態が悪くても死に体(ゾンビ)などではありません。逆に財務状態が悪くなくとも生気を失った社員ばかりの企業であれば、それこそゾンビ企業なのではないでしょうか。