eating-while-walking

「泊食分離」が”観光と地域の共存”を実現する理由

オーバーツーリズムの問題に象徴されるように、「観光と地域の共存」が大きな課題となっています。観光と地域の共存には、観光の利潤が地域全体に広がり、住民自身も観光に前向きとなる──「観光⇒地域経済⇒住民」という住民を巻き込んだ観光事業の仕組みが不可欠です。そこで近年期待されているのが「泊食分離」という観光事業モデルです。泊食分離がなぜ地域経済を潤し、住民の幸せにつながるのか考えます。

なぜ「泊食分離」が注目されるのか

インバウンドブームが再燃していますが、観光サービスを地域内の企業で分担し合うことで「観光で地域再生」を目指そうとする機運が高まっています。代表的な取り組みが「泊食分離」です。泊食分離が注目されている理由は何でしょう。

①インバウンド客の自由度が増す

泊食分離とは、旅館などの宿泊施設において、宿泊料金と食事料金を別立てにすることで、施設内だけでなく近隣の飲食店や土産店の利用を促そうという取り組みです。観光庁も2017年から力を入れている施策です。

「毎日同じ料理だと飽きる」「もっと自由に街歩きや飲食店巡りをしたい」──泊食分離を望む声は特に長期滞在のインバウンド客に多く見られます。旅館で食事を取る場合、決められた時間に、決められた場所で食事をすることになり、ゆっくり街に出て散策する時間が取れないというケースが多い。宿泊分離であれば、食事は街の有名店に出かけ、帰りがてら街を散策したり土産店に寄って買い物を楽しむこともできます。

観光庁のアンケート調査(2017年)によると、泊食分離を実施している宿泊施設の割合は全体で20.1%ですが、インバウンドに積極的に取り組んでいる施設では40.7%に上ります(下図)。インバウンド客を相手にする宿泊施設にとって、泊食分離は欠かせない要素の一つになりつつあることが伺えます。

インバウンドの取り組み別にみた泊食分離の実施状況

インバウンドの取り組み別にみた泊食分離の実施状況
(出所)観光庁「宿泊施設の地域連携に関する調査」

②旅館の稼働率が上がる

泊食分離による旅館側のメリットは稼働率が上がることです。食事提供がなくなることで単価は下がりますが、素泊り客や連泊客が増えることで、全体の宿泊者数は増加が見込めます。

旅館の大きな課題は稼働率の低さです。約7割の稼働率を維持するシティホテルやビジネスホテルと比べ、旅館の稼働率は4割に満たない状況です(下図)。泊食分離による稼働率の上昇は、単価の低下を差しいても収益にプラスになる可能性が高いでしょう。

宿泊施設タイプ別の客室稼働率(2023年)

宿泊施設タイプ別の客室稼働率(2023年)
(出所)観光庁「宿泊旅行統計調査」

③地域経済の活性化につながる

泊食分離の最大のメリットと言えるのが、地域経済の活性化につながる可能性を持っている点です。

観光業は本来、地域経済を担う地元企業が一体となって取り組むものです。しかし近年は人気のある高級旅館に観光客が集中し、地元の飲食店や土産店に観光客の姿がないといった事態も生じています。泊食分離によって観光客が街に姿を表すようになれば、地元の飲食店や土産店の売上が上がり、地域経済の活性化につながります。

泊食分離は観光サービスを地元企業同士で分担する事業シェアです。地元企業同士のつながりも強化され、観光客に他店を紹介するようなムードも生まれやすくなるでしょう。

泊食分離の効果について宿泊施設に尋ねると、「地域が活性化した」が2番目に回答割合が多いのです(下図)。街全体が活性化すれば旅館にもプラスになるという感覚が共有されているのでしょう。

泊食分離を実施したことによる効果

泊食分離を実施したことによる効果
(出所)観光庁「宿泊施設の地域連携に関する調査」

④住民が観光に前向きになる

泊食分離という事業を通じて地元企業同士が手を取り合うようになれば、その熱量は住民にも伝播し、観光事業への住民の参加意欲も高まります。

企業のつながりが住民の参加意欲を高めるとはどういうことでしょう。地元企業の従業員のほとんどは地域住民でもあります。身近な仕事を通じて地元の観光事業を「自分ごと」として捉えるようになるからです。休日も様々な観光イベントに参加するようになり、インバウンド客との交流機会も自然と増えてくるでしょう。

⑤オーバーツーリズムが軽減される

インバウンド客と住民の交流機会が増えれば、深刻化するオーバーツーリズムの軽減にもなります。

インバウンド客が集中する一部の地域では、過度の混雑や騒音、路上等へのゴミのポイ捨て、写真撮影を目的とする私有地への無断侵入などのマナー違反が多発、地域住民の生活を脅かしています。こうしたマナー違反が起こるのは、インバウンド客の関心がもっぱら観光名所やインスタ映えする料理などに向いているからです。彼らの視界には地域住民の姿はありません。

セカイホテルの商店街を歩く住民のように、インバウンド客と住民が親しくなれば、マナー違反はかなり減るでしょう。地域住民は日本文化の伝道師でもあります。住民が地域の奥深さを伝えることで、インバウンド客は「この土地を想う旅人」となる。そうなれば、ゴミのポイ捨てなどできるはずがありません。

インバウンド客の意識が変われば、特定の観光地に集中することもなくなるでしょう。彼らの最大のもはや関心は観光名所ではなく、地域住民との交流にあるからです。

泊食分離の成功例

上記でみた泊食分離の効果を実際の事例で確認しましょう。栃木の塩原温泉、島根の有福温泉、北海道の登別温泉など泊食分離を実施する地域は増えています。なかでも特徴的な2つの成功事例で確認します。

街全体でもてなす「和倉温泉」

泊食分離の成功例として知られるのが「和倉温泉(石川県七尾市)」です。

和倉温泉に宿泊し、夜の食事は市街の飲食店で楽しんでもらう「まち食STAY」は、コロナ禍の2020年11月にスタートした事業です。飲食だけでなく、街のプロジェクトマッピングなど観光スポットを自由に巡るコースも用意されています。街全体でもてなす観光サービスは魅力的な体験を求める観光ニーズにマッチしています。

泊食分離は地元企業との連携が不可欠です。和倉温泉は同事業を通じて、旅館、飲食店、観光施設、タクシー業者、小売店など観光サービスに携わる事業者間の交流・連携が高まりました。競合店でも食材やアイデアの情報を共有しようとするムードも生まれているようです。

和倉温泉は現在、能登半島地震による甚大な被害により、21の旅館のほとんどが営業再開できていません。しかし地元の若手経営者らは自発的に「創造的復興ビジョン」を知事に提出するなど、復興への熱量は高いようです。強い地域エコシステムは「危機時に強い」地域を作ることを示しています。

商店街まるごとホテル「SEKAI HOTEL」

泊食分離を商店街の中で展開しているのが、クジラ株式会社(大阪府大阪市)が手掛ける「SEKAI HOTEL(セカイホテル)」です。

同ホテルは商店街周辺の空き家・空きテナントをリノベーションし客室として再活用。夕食・朝食は商店街の飲食店、大浴場は銭湯という具合に、商店街をまるごとホテル化しています。

宿泊者はホテルの廊下を歩くように地域住民の行き交う商店街を歩き、行く先々で地域の歴史・風土・文化などに触れられ、地域住民の一員になったような体験ができるのです。

商店街のお店同士の関係性にも変化が起きています。ホテルのスタッフがハブとなることで、各商店の交流・連携が深まり、「商店街が盛り上がれば店の売上も増える」という意識が共有されています。

まとめ

温泉や旅館だけあっても温泉街は成り立たないし、ホテルだけあっても商店街は盛り上がらない。地域のお店が一体となって価値を発揮することで、観光客が求める魅力的な体験サービスを提供する。──和倉温泉とセカイホテルの例は、泊食分離という事業シェアが地元企業同士を再接続させ、「観光と地域の共存」の実現に寄与する可能性を示しています。泊食分離は地域再生の事業モデルとしてますます注目される気がします。